長伝寺(読み)ちようでんじ

日本歴史地名大系 「長伝寺」の解説

長伝寺
ちようでんじ

[現在地名]与野市本町東五丁目

貞樹山観智院と号し、浄土宗本尊阿弥陀如来開山は江戸芝増上寺中興開山の源誉存応。存応は武蔵国由木ゆぎ(現東京都八王子市)の出身で、片山法台かたやまほうだい(現新座市)蓮阿の弟子となり、岩瀬大長いわせだいちよう(現神奈川県鎌倉市)感誉存貞に師事した。のちに存貞とともに河越蓮馨れんけい寺に移り、天正二年(一五七四)存貞の死後当寺に入った。もとは真言宗の寺であったが、存応入寺後浄土宗に改めたという。「風土記稿」によると、古くは朱印地であったが、のちに故あって収公されたという。境内観音堂内の聖観音像は口元を軽く開いて歯をみせているので歯仏の観音とよばれ、足立新秩父観音霊場の二四番札所(「新秩父縁起」昌福寺蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む