日本大百科全書(ニッポニカ)「春日大社」の解説
春日大社
かすがたいしゃ
奈良市春日野(かすがの)町に鎮座。第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめかみ)の4柱を祀(まつ)っている。鎮座地は御蓋山(みかさやま)(三笠山)の麓(ふもと)で、ナギ、アシビ、サカキなどの深い樹叢(じゅそう)に囲まれた浄域となっている。当大社は、710年(和銅3)都が奈良に移されると、藤原不比等(ふひと)が、神代に功績のあった、また同氏が氏神として崇(あが)める常陸(ひたち)(茨城県)鹿島(かしま)神宮の武甕槌命を、都の東方、御蓋山の頂上浮雲峰(うきぐものみね)に祀り、国土安穏、国民繁栄を祈ったのが、その始まりといわれている。765年(天平神護1)には鹿島神宮の封戸(ふこ)の一部を春日神に寄進し、祭祀(さいし)にあてている。この方式は、関東に多い鹿島御子(みこ)神社の草創期当初と同様である。称徳(しょうとく)天皇の768年(神護景雲2)11月9日、現在の地に社殿、瑞垣(みずがき)、鳥居を造営し、下総(しもうさ)(千葉県)香取(かとり)神宮の経津主命、河内(かわち)(大阪府)枚岡(ひらおか)神社の天児屋根命・比売神の3柱の大神をともに祀り、四社明神として崇め奉ったのである。『三代実録(さんだいじつろく)』の元慶(がんぎょう)8年(884)の条によると、朝廷より琴の奉献があり、これは、768年に寄進したものが破損したためであると記されている。創建以来、朝野の厚い崇敬が寄せられ、一条(いちじょう)天皇989年(永祚1)2月22日の行幸をはじめ、行幸・御幸三十余度を数える。当然のことながら藤原氏一門の崇敬は厚く、また衆庶の参拝も数多く、折々の祈願、慶祝、報賽(ほうさい)には、種々の神宝、調度、灯籠(とうろう)の寄進があり、とくに奉納された灯籠の数はおびただしく、春日の万灯籠と称されている。『延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)』には春日祭神4座が名神(みょうじん)大社に列し、官幣にあずかっている。神仏習合思想の発展とともに春日大明神の霊験(れいげん)や縁起(えんぎ)が説かれるようになり、伊勢(いせ)神宮、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)と並んで三社といわれ、広く信仰されるに至った。春日信仰は、春日曼荼羅(まんだら)、三社託宣、『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』などに表現されており、全国至る所に春日社の分社が創祀(そうし)され、現在その数は3000社を超えるといわれている。とくに都の近くに分祀した、長岡京の大原野(おおはらの)神社、平安京の吉田神社は、いずれも官社に列している。国史上にも当社に関する記載は数多い。おもなものとして、官社二十二社の一に列したこと、春日祭を2月と11月上の申(さる)の日と定めたこと、斎女(さいじょ)の制をとったこと、神階が正一位となったことなどがあり、とくに興福寺の僧徒と春日社の神人(じにん)が、春日の神木を奉じて強訴(ごうそ)したことは歴史的に名高い。鎌倉時代になると、将軍源頼経(よりつね)は鎌倉に春日社を分祀している。明治維新の神仏分離令により興福寺の支配を離れ、官幣大社となる。1946年(昭和21)春日神社を春日大社と改称した。
[落合偉洲]
境内・建築
春日山原生林(特別天然記念物)を含む100万平方メートルの神域は動植物の宝庫である。境内に遊ぶ1000頭以上の神鹿(しんろく)(国の天然記念物)は名高く、これは、祭神武甕槌命が鹿島から御蓋山に遷座のときに乗ってきた白鹿が繁殖したものと伝え、神鹿として創建以来保護されている。ちなみに鹿島神宮の境内においても神鹿が飼われている。春日大社の本殿はとくに春日造(づくり)と称され、現在の本殿は1863年(文久3)に再建されたもので、国宝となっている。そのほか、一の鳥居(春日鳥居)、車舎(くるまやどり)、廻廊(かいろう)、幣殿などの諸建築物は国の重要文化財に指定されている。参道には2000の石灯籠、廻廊に1000の釣灯籠があり、もっとも古いものは1038年(長暦2)藤原頼通(よりみち)寄進のものと伝えられる。江戸末期までは各灯籠は毎夜ともされていたが、現在は2月の節分と8月14、15日に万灯籠としてすべてに火がともされる。なお、境内には、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀る若宮神社のほか、榎本(えのもと)神社、本宮(ほんぐう)神社、紀伊神社、水谷(みずや)神社の合計5社の摂社と、手力雄(たぢからお)神社をはじめとする41社の境内末社が祀られている。また境外末社として、高山(こうぜん)神社をはじめ15社が祀られている。若宮神社の祭神は本社の御子神(みこがみ)にあたり、社殿は本社と同規模で、国の重要文化財となっている。1998年(平成10)には、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。奈良の文化財は東大寺など8社寺等が一括登録されている)。
[落合偉洲]
祭礼
例祭の春日祭は、明治以降に3月13日と定められ、現在に至っているが、勅使参向のもと厳粛に奉仕されており、加茂(かも)、石清水とともに三勅祭といわれている。また3月15日に御田植(おたうえ)祭が行われる。この祭は、第78代二条(にじょう)天皇の1163年(長寛1)正月申の日に始められたと伝えられている。摂社若宮神社の例祭「おん祭」(春日若宮おん祭)はとくに有名で、御旅所(おたびしょ)に神霊を奉遷し、神楽(かぐら)、舞楽、細男(せいのお)、田楽(でんがく)、猿楽(さるがく)、能、相撲(すもう)など多彩な内容と伝統ある神事芸能が奉納される。
[落合偉洲]
神宝
藤原氏一門、武家、庶民に至るまでその崇敬を物語る社宝は多い。とくに平安時代の工芸の粋を尽くした本宮・若宮の御料古神宝類、平安・鎌倉・南北朝時代にわたる刀剣・甲冑(かっちゅう)の優品、春日曼荼羅(まんだら)、舞楽面、絵巻、文書類など国宝、国重要文化財に指定されるものも多く、それらは宝物殿に収蔵・展観されている。
[落合偉洲]