日本歴史地名大系 「北小泉村」の解説 北小泉村きたこいずみむら 福島県:郡山市旧富久山町地区北小泉村[現在地名]郡山市富久山町(ふくやままち)北小泉(きたこいずみ)・富久山町(ふくやままち)堂坂(どうざか)福原(ふくはら)村の東、南小泉村の北、阿武隈川東岸の河岸段丘に立地。南境を桜(さくら)川が西流する。応永二四年(一四一七)五月一日の浄祐譲状(青山文書)に「きたこいつみ殿」とみえ、紀州熊野山本宮・新宮の旦那職を田村庄糠田侍従阿闍梨に譲渡している。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢帳(同文書)に、田村庄六六郷のうちとして「三段百文 北小泉、二百文ハあれ申候、以後者三百文御取可有候」とみえ、通常は三段・三〇〇文を庄園領主熊野山新宮に上納していた。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)に「三段三百文 北小泉、此内百五十済不申候」とみえる。 北小泉村きたこいずみむら 福島県:相馬市北小泉村[現在地名]相馬市北小泉南の小泉村の枝郷。東流する小泉川北岸の台地に位置し、東と北と西は新沼(にいねま)村に接する。明暦二年(一六五六)同村の一部を加えて小泉村から分村したとされるが(相馬藩政史)、「奥相志」に「寛永以後、小泉新沼の地を割き、田を墾して一邑となせるものか。俗にこの地を呼んで西新沼と曰ふ」とある。天保郷帳にみえる小泉村に「古者 小泉村・北小泉村・高池新田三ケ村」と注記される。明暦二年の高七六石余(相馬藩政史)。元禄郷帳では小泉村枝郷と注記され高六八石余。なお元禄検地高は六五石余、ほかに新田三石余がある(奥相志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by