新沼村(読み)にいぬまむら

日本歴史地名大系 「新沼村」の解説

新沼村
にいぬまむら

[現在地名]三本木町新沼、古川市新沼

大崎おおさき平野の最南端で、北の多田ただ川と南の鳴瀬なるせ川に挟まれ、土地は低湿で沼沢地帯をなしていた。北は飯川いいがわ(現古川市)、西は中沢なかざわ(現同上)、南はありふくろ村、東は南谷地みなみやち村に接する。字若宮わかみやにかつて志田郡唯一の式内社敷玉早御玉しきたまはやみたま神社が祀られていたと伝え、「宮城県神社明細帳」によれば、若宮八幡神社西の敷玉森に社殿があったという。日本武尊の創建で、宝亀一二年(七八一)陸奥按察使藤原小黒麿が東夷征討成功により再び社殿を建立。文治五年(一一八九)源頼朝により再建高倉たかくら坂本さかもと郷を社領に付したという。


新沼村
にいぬまむら

[現在地名]相馬市新沼

北小泉きたこいずみ村の北に位置し、村の北半は平坦地、南半は台地をなす。東は尾浜おばま村など、北東部は東西約八町・南北約三〇町の新沼浦に臨み、原釜はらがま村から今泉いまいずみ(現新地町)に向けて三〇間の海口があって太平洋に通ずる。ただし、新沼浦は大正一〇年(一九二一)に着工された新沼浦干拓工事により、昭和一五年(一九四〇)までに消滅。天文七年(一五三八)の段銭古帳に宇多うだ庄のうちとして「にいぬま」とみえ、段銭一一貫五〇〇文とある。


新沼村
にいぬまむら

[現在地名]藤沢町新沼

藤沢本郷の北にあり、ほぼ南に流下する砂子田すなごだ川に沿う。西は増沢ますざわ村。寛永一九年(一六四二)の新沼村検地帳(県立図書館蔵)によれば、田方二二町六反余・代二六貫五五二文、畑方三八町五反余・代八貫八八〇文(うち屋敷二町三反余・代四七〇文)、名請人数三四。正保郷帳では田二六貫五四六文・畑八貫八八〇文、ほかに新田六文がある。「安永風土記」では田二六貫五六三文・畑九貫八五一文、うち蔵入地二貫六九二文・給所三三貫七二二文。人頭五七、家数五七、男一五三・女一三三、馬三三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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