北庄山手下村(読み)きたしようやまてしもむら

日本歴史地名大系 「北庄山手下村」の解説

北庄山手下村
きたしようやまてしもむら

[現在地名]久米南町北庄きたしよう

北庄里方きたしようさとがた村の西の高地に立地する。筒宮つつのみや山脈が南北に走り、南は北庄山手上村誕生寺たんじようじ川は当村の丹沢谷を水源とする。古くは北庄山手村であったが、承応元年(一六五二)北庄山手下村と北庄山手上村とに分村したという(作陽誌)正保郷帳では北庄山手村として田四九二石余・畑四九五石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一八〇石余・開高二四石余、村位は下。同年の美作国郷村帳には山手下村とあり、高五五〇石余。近世初期とされる豊楽寺永代帳(豊楽寺文書)に北ノ庄山手下村とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android