北庄山手上村(読み)きたしようやまてかみむら

日本歴史地名大系 「北庄山手上村」の解説

北庄山手上村
きたしようやまてかみむら

[現在地名]久米南町北庄きたしよう

北庄山手下村の南、高地に立地する。古くは同村と併せ北庄山手村であったが、承応元年(一六五二)に分村したという(作陽誌)。東は北庄里方きたしようさとがた村、南は南庄西みなみしようにし村。正保郷帳では北庄山手村の内。元禄一〇年(一六九七)の美作国郷村帳に山手下村と別に山手村とみえ、高六四二石余。「作陽誌」では家数六一、男二二二・女一八三。津山藩森氏断絶後の領主変遷は北庄山手下村と同様。明治五年(一八七二)同村と合併し、北庄山手村となる。「作陽誌」によれば、若一山王子権現社は嘉元三年(一三〇五)造立とあり、別当善法ぜんぽう(のち廃寺)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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