北村兼子(読み)キタムラ カネコ

20世紀日本人名事典 「北村兼子」の解説

北村 兼子
キタムラ カネコ

大正・昭和期のジャーナリスト 大阪朝日新聞記者。



生年
明治36(1903)年11月26日

没年
昭和6(1931)年7月26日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
大阪外国語学校(現・大阪外国語大学)英語科卒,関西大学ドイツ法律科

経歴
20歳の時大阪朝日新聞社発行の「婦人」に投書して認められ、関西大学在学中に大阪朝日新聞社に入社。社会部記者として主に婦人参政権問題に取り組んだ。昭和2年退職。3年「婦人記者廃業記」を出版。同年汎太平洋婦人会議(ハワイ)、4年万国婦人参政権大会(ベルリン)に列席。5年立川の日本飛行学校に入校。訪欧飛行の準備中の6年7月、27歳の若さで急逝。13冊の著作を残し、一貫して暴力主義への批判と徹底した反戦平和を訴えた。著書に「筆頭の蛇」「短い演説の草案及北村兼子演説集」「恋の潜航」「私の政治観」「情熱的論理」「大空に飛ぶ」など多数。平成12年大阪の通天閣で開催された「2000平和のための大阪の戦争展」で、記者時代や国際会議に出席した時の写真、作文草稿などの資料が展示された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「北村兼子」の解説

北村兼子

没年:昭和6.7.26(1931)
生年:明治36.11.26(1903)
大正昭和期のジャーナリスト。大阪府生まれ。北村佳逸と勝野長女。大阪外国語学校(大阪外大)修了。関西大学法学部法律学科で聴講生として学ぶ。大阪朝日新聞記者。退社後,ベルリンで開かれた万国婦人参政権大会(1929)などの国際会議に出席,欧米・中国などを視察し,女性の地位向上を鋭い筆力で訴えた。日本飛行学校に入学し,訪欧飛行を準備中に発病し急死。29歳だった。『婦人記者廃業記』『大空に飛ぶ』などの著書がある。<参考文献>『関西大学百年史』通史編上・別冊人物編

(中村幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北村兼子」の解説

北村兼子 きたむら-かねこ

1903-1931 大正-昭和時代前期のジャーナリスト。
明治36年11月26日生まれ。大阪朝日新聞記者となり,昭和2年退社,3年「婦人記者廃業記」をかく。4年万国婦人参政権大会に出席し,女性の地位向上をうったえる。日本飛行学校にはいり訪欧飛行を準備中,昭和6年7月26日急死。29歳。大阪出身。大阪外国語学校(現大阪外大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「北村兼子」の解説

北村 兼子 (きたむら かねこ)

生年月日:1903年11月26日
大正時代;昭和時代のジャーナリスト
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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