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北村湖春 きたむら こしゅん

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美術人名辞典の解説

北村湖春

江戸前・中期の国学者・俳人。名は季重。通称は休太郎、初号は湖長、のち剃髪して湖春と改める。幼時から父季吟に学び、和歌にも通じた。父と共に幕府の歌学所に仕える。法橋に叙せられた。俳諧は初め父に、のち芭蕉に学んだ。『源氏物語忍草』等の編著がある。元禄10年(1697)歿、53才。(異説あり)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北村湖春 きたむら-こしゅん

1648-1697 江戸時代前期の国学者,俳人。
慶安元年生まれ。北村季吟(きぎん)の長男。20歳のとき父の命で「続山井(やまのい)」を編集。以後季吟俳壇の実務をとり,著作の刊行を補佐する。元禄(げんろく)2年父とともに幕府の歌学方となるが,10年1月15日,50歳で父に先だち死去した。子の湖元が季吟の跡をついだ。名は季順,季重。幼名は休太郎。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

北村湖春

没年:元禄10.1.15(1697.2.6)
生年:慶安1(1648)
江戸前期の俳人,歌学者。幼名,休太郎。名は季順,季重。北村季吟の子。父の指導のもと,寛文7(1667)年『続山井』を刊行した。その交流圏は広く,貞門,談林,蕉門にまでおよぶ。父の新玉津島神社移住後は,本宅にとどまり俳諧堂を主宰。歌学においては,『百人一首拾穂抄』の版下書や出版などにおいて,父の助手的役割を果たす。元禄2(1689)年,父の歌学方勤務にともない江戸へ下向。200俵を拝領して,歌学一筋に奉仕した。<参考文献>榎坡浩尚『湖春研究』(『近世文芸・資料と考証』1号),野村費次『北村季吟の人と仕事』

(楠元六男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の北村湖春の言及

【湖春】より

…江戸前期の俳人。姓は北村。名は季順(すえより)。通称は久太郎(休太郎)。初号季重。北村季吟の子。京都三条山伏山町の生れ。父季吟の指導によって幼時から俳諧に親しみ,1659年(万治2)12歳で早くも季吟の古今伝授竟宴(きようえん)の俳諧に出座,67年(寛文7)には20歳の若さで宗匠となり,季吟の援助の下これを記念して《続山井(ぞくやまのい)》を編んだ。78年(延宝6)ころから季吟の庇護を離れ,俳壇での主導権を譲られたようで,談林の新風を競い合う気鋭の若手俳人との交渉が活発となった。…

※「北村湖春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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