北法蓮町・南法蓮町(読み)きたほうれんちよう・みなみほうれんちよう

日本歴史地名大系 「北法蓮町・南法蓮町」の解説

北法蓮町・南法蓮町
きたほうれんちよう・みなみほうれんちよう

[現在地名]奈良市法蓮町

奈良廻り八ヵ村の一つ、法蓮村のうちにできた町。旧名広岡(ひろおか)と里老はいう。享禄二年(一五二九)の奈良七郷記に南法蓮郷はみえるが、北法蓮郷はみえない。一条大路に沿い民家が並ぶ。法蓮造と称し門口に庭(農作物の干場)をもつ特殊な民家が発達した。

北法蓮町は「奈良曝」に「町役十一軒。百性町。南法蓮町の北なる橋をこへての町也。いにしへ聖武天皇此所ニ長幡寺、福王寺、長福寺、明覚寺とて四ケ寺を建立し給ひ、法花経を納めさせ給ひしゆへ法蓮と名付し、いにしへの跡とてゑんま堂斗残れり」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む