日本歴史地名大系 「北浅羽村」の解説 北浅羽村きたあさばむら 埼玉県:坂戸市北浅羽村[現在地名]坂戸市北浅羽今西(いまにし)村の西にあり、北は蛇行しながら東流する越辺(おつぺ)川を隔てて比企郡石坂(いしざか)村(現鳩山町)。「和名抄」所載の入間(いるま)郡麻羽(あさは)郷の遺称地とされ、中世浅羽郷の北部を占めていたと推定される。「報恩寺年譜」によれば、建武二年(一三三五)二月一三日に如意小太郎行村より買得した三〇貫文の俸銭田が康永三年(一三四四)一二月一三日に「北浅羽松楠」より報恩(ほうおん)寺(現越生町法恩寺)に寄進されたという。「北浅羽松楠」は当地名を名乗る人物か。近世には入間郡入西(につさい)領に属した(風土記稿)。寛永二年(一六二五)九月二日島田庄五郎(重利)は高麗(こま)郡北浅羽村一四八石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿では田九四石余・畑五四石余、旗本島田領。国立史料館本元禄郷帳では旗本西尾領・吉良領・平岡領で、以後幕末まで変わらない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by