デジタル大辞泉
「坂戸市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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坂戸市
さかどし
面積:四〇・九七平方キロ
県中央部やや南寄りに位置し、東は越辺川を境として比企郡川島町・川越市、西は入間郡毛呂山町、南は川越市・鶴ヶ島市・日高市、北は越辺川を境として東松山市・比企郡鳩山町。南西から北東に流れて北部で越辺川に注ぐ高麗川右岸に発達した扇状地性の台地坂戸台地と、市域北境から東境を流れて南東へ流下する越辺川右岸の低地、高麗川西岸の毛呂台地の一部からなる。越辺川支流の飯盛川・大谷川・葛川などがいずれも北東流する。ほぼ中央を南北に国道四〇七号(旧日光脇往還)が通り、その西方を関越自動車道が貫通する。両道の中間を東武東上線が走り、坂戸駅・北坂戸駅がある。坂戸駅から西へ東武越生線が分岐し、鶴ヶ島市との境に西大屋駅がある。
〔原始・古代〕
旧石器時代の遺物は中小坂・多和目など一〇余ヵ所から石器が発見されている。縄文時代の遺跡はほぼ全域に分布し、多和目・北峰・浅羽・石井・小沼・中小坂に比較的多い。最古のものは善能寺の岡山遺跡で早期の撚糸文土器が発見されている。中期の遺跡は上谷遺跡・芦山遺跡・花影遺跡など八〇ヵ所余と多く、晩期の遺跡は二ヵ所しかない。弥生時代の遺跡は鶴ヶ岡・相撲場・花影・浅羽など六ヵ所余がある。このうち花影遺跡からは方形周溝墓が、柊遺跡(石井)からは壺棺墓・甕棺墓・方形周溝墓の三種類の墓が発見されている。弥生中期の遺跡としては小沼の木曾免遺跡・附島遺跡や塚越の渡戸遺跡などがあり、北関東を中心に分布する櫛引文様をもつ土器と、南関東を中心に分布する縄を転がしてつけた文様をもつ土器とが発見され、これら二つの系統の文化の接点をなした地域であった。後期の三福寺遺跡(堀込)から発見された土器のなかにもこのことを示す土器が発見されている。古墳時代の遺跡は後期のものを中心として約三〇ヵ所が確認され、前期初頭の方形周溝墓群が稲荷前遺跡(竹之内)、広面遺跡・中耕遺跡(堀込)で発掘されている。このうち広面遺跡は前方後方型の周溝墓を中心として構成されている点が注目される。おもな古墳に雷電塚古墳(小沼)・胴山古墳(石井)・白山神社古墳(石井)・土屋神社古墳(浅羽野)・石上神社古墳(北大塚)・善能寺古墳群(善能寺)・塚原古墳群(善能寺)などがある。とくに小沼の雷電塚古墳(県指定史跡)はこの期を代表する前方後円墳である。塚の越遺跡(三福寺古墳群)で発掘された前方後円墳跡の周溝内から人物埴輪が、堀之内遺跡(小沼)からは馬形埴輪が出土している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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坂戸〔市〕
さかど
埼玉県中部,荒川の支流高麗・越辺 (おっぺ) 川沿いにある市。 1954年坂戸町と三芳野 (みよしの) ,勝呂 (すぐろ) ,入西 (にっさい) ,大家 (おおや) の4村が合体し,76年市制。古くから開かれた地で,条里制の遺溝がある。中心地区の坂戸は,江戸時代には八王子同心の日光往来のための馬継,宿場町として発達。第2次世界大戦中には南部台地上に軍の飛行場が設置された。米作やムギ・施設野菜・花卉栽培,養魚,畜産が行われるが,1960年代以降,東武鉄道東上線で結ばれる東京の近郊都市化が進み,沿線には大規模な住宅団地が建設された。旧軍飛行場跡は,工場,住宅地となった。国道 407号線,関越自動車道が通る。面積 41.02km2。人口 10万275(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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