北浜二丁目(読み)きたはまにちようめ

日本歴史地名大系 「北浜二丁目」の解説

北浜二丁目
きたはまにちようめ

[現在地名]東区北浜二丁目

大川南岸に東西に延びる両側町と浜側で、難波橋なにわばし筋を境に北浜一丁目の西にある。西隣の過書かしよ町との境から同川に栴檀木せんだんのき橋が架かり、中之島なかのしま(現北区)に通ずる。当町は延宝八年(一六八〇)北浜一丁目より三一軒が分れて成立した(→北浜一丁目。また初発言上候帳面写には「北浜二丁目 右二丁目之内より過書町ト分レ、二丁ニ成ル」ともある。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数三一・役数三八半役で、うち年寄分一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む