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「中之島」の意味・読み・例文・類語
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なか‐の‐しま【中之島】
- 大阪市北区、淀川下流の堂島川と土佐堀川にはさまれる中州。また、その大部分を占める地名。江戸時代は諸藩の蔵屋敷が建ち並び、堂島川北岸の堂島とともに全国的な経済の中心となった。現在は大阪市の都心部を形成。市役所、府立図書館、日本銀行支店、大阪国際会議場、中之島公園などがある。
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中之島
なかのしま
[現在地名]十島村中之島
吐喇列島のほぼ中ほどに位置する火山島で、主峰御岳の標高は九七九メートル。列島中最大の島で、周囲三一・八キロ、面積三四・四七平方キロ。西海岸に中之島港があり、その近くに温泉が湧出する。北に口之島、西に小臥蛇島・臥蛇島、南に諏訪之瀬島、南西に平島がある。
〔近世〕
河辺郡七島のうち。鹿児島藩船奉行の管轄下、宝永(一七〇四―一一)頃に津口番所、寛政元年(一七八九)に異国船番所・異国船遠見番所が設置され(列朝制度)、鹿児島藩庁から派遣された中之島在番は、中之島・諏訪之瀬島・悪石島の三島を管轄した。在番の指示の下で中之島郡司が浦役を兼ねながら島政にあたった。宝暦三年(一七五三)の郡司として日高太郎左衛門が知られる(同書)。在番とは別に横目が一年交替で鹿児島城下から中之島に派遣され、島民中から選ばれた二人の横目(島横目)を指揮して治安維持にあたった。天正(一五七三―九二)の頃、日向の東・渡辺・黒木を名乗る者が七島を侵犯したが、日高太郎左衛門有益らが討取ったといい、褒美として与えられた具足・槍などが郡司の家に伝えられていたという(「三国名勝図会」など)。慶長一四年(一六〇九)の島津氏による琉球侵攻の際、鹿児島藩は「七島之内中之島」を拠点の一つとしている(「琉球渡海日々記」旧記雑録)。元禄国絵図に中ノ島とみえ、島回四里一八町、諏訪之瀬島まで海上七里。文政六年(一八二三)以降明治初年までの在番は甑八郎右衛門以下一七人知られ、郡司(郡司代)として日高・永田両氏、横目として白木・日高・永田・安藤各氏が知られる(十島村文化財調査報告書)。「大御支配次第帳」によれば享保一二年(一七二七)に中之島でも検地が実施され、検地竿次名寄帳二冊を作成しているが現存しない。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の高八二石余、用夫一一一、鹿児島から海路七二里。「三州御治世要覧」によると延享(一七四四―四八)頃の高八三石余。「薩藩政要録」では文政九年の高八二石余、用夫二八。
中之島
なかのしま
大川が市中に入ってのち土佐堀川・堂島川と南・北二流に分れるが、この両川に挟まれ細長く東西に延びる島をいう。もと芦荻の生い茂った中洲であったが、早くから存在したらしい(→本五分一町)。東端は俗に山崎の鼻といい、備中成羽藩山崎家蔵屋敷があった。しかし上流よりの土砂の堆積で洲ができ、明和四年(一七六七)にはこれに築地をして新地の中之島上之鼻が成立、茶屋株などが認められ興行が催されたりした。西端は土佐堀川に架かる湊橋付近であったが、元禄元年(一六八八)堂島新地成立のとき湊橋町ができ、中之島の西端となった。現在の端建蔵橋一帯である。近世前期には淀屋橋と肥後橋の間に南北の水路があり、比丘尼橋によって連絡していたが、貞享三年(一六八六)水路が埋立てられて比丘尼新地ができ、東西が結ばれた。
中之島の町は大坂三郷北組に属し、一四町があったが、元禄元年成立の湊橋町は同じく北組で堂島新地二〇町のうちに含まれた。宗是町・常安町など人名が町名になっている町が多く、中之島の開発状況を反映しているといえよう。当地は水運の便がよかったから、西日本各地への船便が出たほか、蔵屋敷の所在地として開かれた。各時代の絵図類には多くの蔵屋敷が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中之島 (なかのしま)
大阪市北区,旧淀川(大川)の下流に位置し,北を堂島川,南を土佐堀川で囲まれた東西約3.4kmの細長い中州。面積48.6万m2。江戸時代初期淀屋常安により開発され,舟運の便がよいため諸藩の蔵屋敷が集中し,1657年(明暦3)には28,1747年(延享4)には36が設置されていて,天下の台所大坂繁栄の基盤として幕末におよんだ。1871年(明治4)新政府の蔵屋敷廃止により一時的に衰微したものの,この間にも商法司・通商司の大阪支所,通商会社,為替会社,駅逓司大阪郵便役所などが設けられた。次いで大阪裁判所,司薬場,大阪府師範学校,府立図書館,日銀大阪支店,大阪市庁,大阪大学など,官公庁・学校・文化施設などが集まり,さらに会社・銀行の本支店や倉庫,ホテル,新聞社などがつぎつぎに集中して,大阪の都心を形成し現在におよぶ。東側の中之島公園は1891年の開園。
執筆者:藤本 篤 中之島には天神橋,難波(なにわ)橋,大江橋,淀屋橋など水都大阪を代表する20の橋が架設されており,また地下を地下鉄御堂筋線,同四つ橋線,同堺筋線が,高架で阪神高速道路が通ずる。東半部には中之島公園につづいて明治・大正期の石造建築物があり,西半部のオフィス街には高層ビルが多く,都心特有の立体的都市景観を示している。
執筆者:服部 昌之
中之島 (なかのしま)
鹿児島県鹿児島郡十島(としま)村に属する吐噶喇(とから)列島中の島。列島の北部に位置し,面積は27.5km2で最大。御岳(おんたけ)(979m)を最高点とする火山島で,切り立った海食崖が発達する。西岸の里村に中之島港と村役場支所がある。平地は島の中央部にわずかにあるにすぎないが,列島中では最もよく水田,畑地,牧草が発達し,サツマイモの生産と肉牛の飼育が営まれる。漁業は活発で,サワラ,マグロ,カツオ,タイ,イセエビ,トビウオなどを漁獲する。港付近の3ヵ所に温泉が湧く。列島固有のトカラウマ8頭(1984)がこの島のみに残る。鹿児島港から口之島経由の定期船が約7時間で通じる。
執筆者:服部 信彦
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中之島[町]【なかのしま】
新潟県中部,南蒲原(みなみかんばら)郡の旧町。越後平野南部,信濃川と支流刈谷田(かりやた)川に挟まれた中州にある。1923年大河津(おおこうづ)分水路(新信濃川)の完成でかつての沼沢地も乾田となり県有数の水田地帯。レンコン,ネギの生産量が多い。1978年北陸自動車道中之島見附インターチェンジができ,1989年中之島工業団地を造成。毎年6月の大凧合戦の行事は有名。2005年4月三島郡越路町,三島町,刈羽郡小国町,古志郡山古志村と長岡市へ編入。42.55km2。1万2870人(2003)。
中之島【なかのしま】
大阪市北区,淀川下流の堂島川と土佐堀川にはさまれた細長い中州。江戸時代には蔵屋敷が置かれ,西日本各地への船便があった。中央部から西部にかけて市役所,日本銀行,朝日新聞大阪本社,市立科学館,国立国際美術館などがあり,市の経済,文化の一中心をなす。東部は中之島公園で,園内に中央公会堂,府立郷土資料センターがある。
→関連項目大阪[市]|北[区]|淀屋辰五郎
中之島【なかのしま】
鹿児島県,吐【か】喇列島の北部に位置する火山島。列島で最も人口が多く,面積も34.42km2で列島中最大。安山岩からなり,北部に最高点となる活火山・御岳(標高979m・成層火山)がある。鹿児島および奄美大島・名瀬からフェリーが通じる中之島港近くの集落には温泉が湧き,頂上近くの火口からは現在も噴気が上がっている。わずかな平坦地を利用して,畑作や和牛,トカラウマ(県の天然記念物)の放牧が行われている。島東部にある勾玉状の底なし池は御池ともよばれ,水深が浅いため大半が湿地化し,野鳥の生息地となっている。
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中之島(新潟県)
なかのしま
新潟県中央部、南蒲原郡(みなみかんばらぐん)にあった旧町名(中之島町(まち))。現在は長岡(ながおか)市の北部を占める一区域。旧中之島町は1986年(昭和61)町制施行。2005年(平成17)長岡市に編入。信濃川(しなのがわ)と支流刈谷田川(かりやたがわ)に挟まれた中州に位置する。大河津(おおこうづ)分水の完成で、かつての沼沢地も乾田に変わり、1町で年間約1万2300トンの米産額をあげた県下最大の水田単作農地である。沼沢地で栽培される蓮根(れんこん)が特産であり、刈谷田川堤防上で6月上旬に行われる見附(みつけ)市今町との大凧合戦(おおだこがっせん)が有名である。JR信越本線と、国道8号、403号が通じ、北陸自動車道中之島見附インターチェンジがある。
[山崎久雄]
中之島(鹿児島県)
なかのしま
鹿児島県吐噶喇(とから)列島北部にある島。北緯29度50分付近、鹿児島市から南へ約220キロメートルの洋上に位置する。面積約34.47平方キロメートル、周囲31.80キロメートル。列島中最大の面積と人口を擁し、鹿児島郡十島村(としまむら)に属し、同村の中心島で、村役場の支所や振興センターなどが置かれている。最高点は島の北西部を占める御岳(みたけ)の979メートル、いまなお噴気活動を続ける円錐(えんすい)形の火山である。島の地質は、第三紀の安山岩の上部を新期安山岩類が覆っている。南東部には開析の進んだ無定形の山地があり、また、周囲の海岸は大部分が急峻(きゅうしゅん)な海食崖(がい)をなしているため低地は狭い。鹿児島市から村営船が他の島々に寄港しながら運航している。人口138(2009)。
[塚田公彦]
中之島(大阪市)
なかのしま
大阪市北区のオフィス街区。淀(よど)川下流の二分流、堂島川(どうじまがわ)と土佐堀川に囲まれた中州。東西約3キロメートル、南北約200メートルの細長い島で、20を超える橋で対岸と結ばれる。江戸初期に淀屋常安により開発され、諸藩の蔵屋敷が集中し、大坂繁栄の基地となった。現在、中央公会堂、府立図書館、市役所、日本銀行大阪支店、リーガロイヤルホテル、市立東洋陶磁美術館、市立科学館などがあり、東部には野外音楽堂のある中之島公園がある。「国際文化交流ゾーン」の形成を目ざして再開発が行われており、国際会議場、大阪大学中之島センターなどが建設され、2008年(平成20)には京阪電鉄を延長した中之島線も開通した。
[樋口節夫]
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中之島
なかのしま
鹿児島県南部,吐噶喇列島の北部にある火山島で,活火山。十島村に属する。列島中最大の島で,村役場支所や振興センターなどがある。最高点は御岳(979m),西岸に中之島港がある。農業が主でサツマイモ,ジャガイモなどを栽培する。鹿児島と航路で結ばれる。面積 34.48km2。人口 183(2000)。
中之島
なかのしま
大阪市北区南西部の地区。旧淀川の分流である堂島川と土佐堀川に囲まれた川中島で,東西に細長く,延長約 3400m。水運の便に恵まれ,江戸時代,全国各藩の蔵屋敷が設けられ,堂島の米市場とともに大阪繁栄の基礎をなした。現在は東半分に中之島公園,公会堂,図書館,市庁,日本銀行大阪支店など,西半分に会社,事務所などがあり,大阪市の行政,経済,文化の中心地となっている。
中之島
なかのしま
新潟県中部,新潟平野の南部にある長岡市北部の旧町域。信濃川右岸の沖積地を占める。 1986年町制。 2005年長岡市に編入。米作中心だが,ほかにネギ,レンコンも産する。大凧合戦は有名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中之島
鹿児島県鹿児島郡十島村、南西諸島トカラ列島に属する島。薩摩半島の南西約160キロメートルに位置する。面積は約34.48平方キロメートルで列島最大。北東には口之島、南西には諏訪之瀬島がある。「トカラ富士」の呼び名で知られる島最高峰の御岳は、標高979メートル。江戸時代には島津氏の直轄領で、異国船番所などが置かれた。県の天然記念物に指定されている在来種のトカラウマが飼育されている。
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