北片岡村(読み)きたかたおかむら

日本歴史地名大系 「北片岡村」の解説

北片岡村
きたかたおかむら

[現在地名]館山市水岡みずおか

清水しみず村の東、安東あんどう村の東に位置する小さな谷に展開する。安東千手せんじゆ院から続く丘陵横穴墓中世やぐらなどが分布し、一七基の五輪塔を陽刻したやぐらがある。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高一七六石余(うち田一二六石余)、同一五年の里見家分限帳によると足軽小頭請西善右衛門・勘定役祭主新右衛門など四氏の給知。正保郷帳では高二一五石余(うち田一五〇石余)で、北条藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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