北由良村(読み)きたゆらむら

日本歴史地名大系 「北由良村」の解説

北由良村
きたゆらむら

[現在地名]氷上町北油良きたゆら

北と東を山に囲まれ中央を北由良川が流れる。中世由良庄の遺称地。西は桟敷さじき村、東は愛宕あたご山を隔てて乙河内おとがわち(現市島町)。当地を谷町と称したと伝える(氷上郡志)。慶長六年(一六〇一)旗本別所領になり、北方山麓の字屋形屋敷やがたやしきに居宅があったと伝える。寛永五年(一六二八)幕府領になったと考えられ(「氷上郡志」など)、同一〇年三田藩領となる。正保郷帳に村名がみえ田高二三〇石余・畠高一六一石、柴山・林あり、日損少しあり。同藩領。国立史料館本元禄郷帳でも同藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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