北目館跡
きためたてあと
[現在地名]遊佐町北目
高瀬川の中流右岸楯ノ内にある。鎌倉時代に築かれた平城で、同川を天然の要害として立地する。標高八メートルで、館跡は現在東西三〇〇メートル・南北三〇〇メートルにわたって西に開く馬蹄形をしており、土塁や堀跡が残る。承久二年(一二二〇)一二月三日、鎌倉幕府は雑色真光を北目地頭新留守に遣わし、出羽国両所宮(大物忌・月山両所宮)の修造を命じた(「関東御教書」大物忌神社文書)。大物忌神社吹浦口之宮六月一四日の御浜出神事には、北目郷より一二人の在庁衆が勤仕したと伝える(「吹浦大物忌神社旧記」大物忌神社文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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