デジタル大辞泉 「稚児」の意味・読み・例文・類語
ち‐ご【稚児/▽児】
1 ちのみご。赤ん坊。
「―を背に負った親子三人
2 幼い子。幼児。
「其の時
3 祭礼や寺院の法楽などの行列に、美しく装って練り歩く児童。「―行列」
4 寺院や、
「是も今は昔、比叡の山に―ありけり」〈宇治拾遺・一〉
[類語]幼児・幼子・幼女・童女・乳幼児・幼童・小児
7歳から12歳くらいまでの子どもを選んで,神社の祭礼などにおける奉仕者にするもの。このとき稚児は美しく着飾り,おしろいを塗り,額には呪術的な文様などをつけ,馬に乗りあるいはおとなの肩車に乗せられて社殿に運ばれ,そこで神饌を献納したり,舞踊を奉納する役をひきうける。
稚児には子どものもつ〈中間性〉が印象的な形で象徴化されている。日本各地には〈7歳までは神のうち〉とか〈7歳までは神の子〉という伝承があり,14歳くらいから上は通過儀礼を経ておとなの社会の仲間入りをしていく。稚児に選ばれる年齢の子どもはこうして神のもの(社会の外部)でもなければ,おとなの社会(制度の内側)にも完全には属さない〈中間性〉を帯びるようになる。稚児が大地との結びつきを象徴的に絶たれたり(乗馬,肩車),生理を隠して美的に昇華されたり(仮装)することには,この〈中間性〉が表現され,稚児は神霊界のものでありながら同時にこちらの世界にも現れているという天使的な位置づけを得るようになる。稚児は重力から解き放たれているかのように軽やかで,しかも美しく演出されなければならない。それによってはじめて神と人間の媒介者たりうる。またおもに密教系の寺院に所属していた多数の稚児の場合もこれとよく似ている。ここでも稚児はたんに見目美しいだけの存在ではなく,仏教的な神話体系において主尊と人間の中間に立つからす天狗や前鬼・後鬼のようなトリックスター的な役割をになうものとして,寺院の宇宙論にとってはなくてはならない〈中間者〉だったのである。このような稚児の形態の原型には,子どもが神の尸童(よりまし)として選ばれたもっと古い型のあったことを,民俗学は教えている。すなわち氏子のなかから両親のそろった女児または男児を選び出し,潔斎(けつさい)7日ののちに,美しく着飾らせて馬に乗せる。神職がその耳もとで祓文を唱すうちに,子どもは眠りに落ちる。この稚児の眠りをもって神霊の降臨を占うわけである。このような神の尸童としての稚児の習俗には,この年ごろの子どもの生理的な不安定さに加えて,やはりその〈中間性〉のもつ象徴的価値を考える必要がある。憑依(ひようい)状態になって神霊を媒介するものとなりうるために,まず子どもは〈中間的〉存在でなければならないのだ。しかし,巫女といい稚児といいなぜ憑依者が美しく仮装し着飾らなければならないのか,という問いのうちには,日本人の神観念の本質に触れるたいせつなものがひそんでいるように思う。
→子ども →童
執筆者:中沢 新一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
語源は乳子(ちご)だから乳児をさすが、すこし成長した児童を含めて稚児といった。特別な意味をもつのは寺院の稚児で、雑用に従う少年であった(禅宗では喝食(かっしき)という)。初めは公家(くげ)の子弟を入門させ剃髪(ていはつ)して仏教を教育したともいうが、稚児は有髪で僧侶(そうりょ)になる目的はなかったという。髪は長く伸ばして首の後ろへんを元結(もとゆい)で結んだ垂髪(すいはつ)とし(喝食は肩のへんで切りそろえた)、水干(すいかん)または長絹(ちょうけん)を着た姿が絵巻物に描かれている。しかし、寺院の稚児が注目されるのは、女人禁制の僧院内で男色の対象となったことによる。僧たちは競って美少年を稚児に選んで専属とし、稚児をめぐる争奪を演じることがあった。男色の若衆(わかしゅ)を「お稚児さん」とよぶのはこのためで、文学にも『秋の夜(よ)の長物語』などの児(ちご)物語という一分野を残した。公家や武家が側近に稚児を置いたのは寺院の稚児をまねたものといわれ、武家のものは小姓となって男色につながっている。
また、神社や民間の神事においても稚児が重要な役割を果たすことがあるが、子供の清浄性を神聖視したことに基づくと考えられる。寺院の稚児が延年(えんねん)のなかで舞う稚児舞と神事舞の稚児との比較や、神事には女児も参加する相違点などを考慮して、両者の稚児が同一系に属するか否かの検討は慎重を要する。
[原島陽一]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…現在でも,人ごみの中で何か遠くのものを子どもに見せようとするときなどにこの形をとることがあるが,もとは,(1)男が成年に達したときの儀礼,(2)女の嫁入りのときの儀礼,(3)神事舞踊,(4)呪術や祈禱などに際して,土に触れると神聖性を失うおそれありとされた場合にこの姿が採られたようである。現在でも各地の祭りに,稚児(ちご)が登場するに当たって乗馬・乗輿でないときにはこの姿が採られる。和歌山県芳養(はや)の祭りでは,ビンジョロウとよばれる神聖な童児の役の男児が肩車に乗って出る。…
…一説には,天竜寺開山のとき,剃髪・得度するにはまだ至らない寺に入った子どもを喝食となしたという。また,稚児の別称となり,《太平記》に足利尊氏嫡男直冬は〈始メハ武蔵国東勝寺ノ喝食〉とある。【竹貫 元勝】。…
…しかし,室町時代までは文献例が少なく,わずかに女犯を禁じられた僧の男色が知られているにすぎない。室町時代以後には僧院における稚児(ちご),喝食(かつしき)などが武士の間にも愛され,後には少年武士が男色の相手に選ばれた。とくに戦国時代には,尚武の気風からことさらに女性をさげすみ,男色を賛美する傾向が強まった。…
…鎌倉から室町時代以降になると,どちらかといえば公家僧房に限定されていた男色が新興武士階級にも広がって,正面から男色を文学のテーマとして取りあげるようになる。《秋夜長物語》《あしひき》《嵯峨物語》《鳥辺山物語》《弁の草紙》など従来の中世物語の形式に,仏道とからんだ形で稚児との性愛=男色が織り込まれた物語が流行し,文字どおりジャンルとして稚児物語が成立した。稚児愛の経済的有効性から,田楽等の芸能者集団は花形としての稚児を抱え,稚児の人気が集団の人気を左右するようになった。…
…文ノ舞は武ノ舞と対照的な,すなわち文官の舞,あるいは優美な舞というほどの名称であるが,この舞はテンポの点ではそのほとんどが平舞と同等である。童舞は原則として稚児によって舞われる舞であり,唐楽の《迦陵頻(かりようびん)》,高麗楽の《胡蝶(こちよう)》などがこれに属する。なおこの分類は,舞人の人数や装束(舞楽装束),仮面(舞楽面)を着けるか否かなどの点にもかかわりがあり,たとえば平舞は四人舞や六人舞など多めの人数で,たいていは裳裾(もすそ)の長い装束を着け,その大半が仮面を着けずに舞われるのに対し,走舞ではたいてい1人か2人の舞人により,たとえば裲襠(りようとう)装束のような比較的活発に動きやすい装束を着け,またそのほとんどは,動物や,人間をカリカチュア化したような仮面を着けて舞う。…
※「稚児」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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