日本歴史地名大系 「北蒲田村」の解説 北蒲田村きたかまたむら 東京都:大田区北蒲田村[現在地名]大田区東蒲田(ひがしかまた)一―二丁目・蒲田(かまた)一―四丁目・南蒲田(みなみかまた)一―二丁目・西糀谷(にしこうじや)一丁目・大森西(おおもりにし)七丁目大森(おおもり)村の南に位置し、南は蒲田新宿(かまたしんしゆく)村に続く。近世の東海道がこの三村を縦貫する。土地は平坦で水陸の田が錯綜する(風土記稿)。古代・中世の蒲田郷は当地一帯に所在したと考えられ、「三代実録」貞観六年(八六四)八月一四日条にみえる「蒲田神」は当地の田(ひえた)神社のこととされる。村成立当初は蒲田村と称していたが、蒲田新宿村が分立したため北を加えて村名としたという(風土記稿)。田園簿に北蒲田村とみえ、田方四八一石余・畑方一三二石余(総高は六〇四石余とあり、いずれかに誤りがある)、幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報