蒲田郷(読み)かまたごう

日本歴史地名大系 「蒲田郷」の解説

蒲田郷
かまたごう

古代の荏原えばら郡蒲田郷(和名抄)の名称を継いだ中世の郷。近世北蒲田村蒲田新宿かまたしんしゆく一帯に比定される。応永年間(一三九四―一四二八)のものと推定される岩松持国本領所々注文(正木文書)に武蔵国の領として蒲田郷がみえる。しかし当時持国が当知行できていたかどうかについては検討の余地がある。なぜなら同注文に蒲田郷とともに並記されている渋口しぶくち(現神奈川県川崎市高津区)は、至徳元年(一三八四)七月二三日に岩松国経に宛行われたが、江戸蔵人入道希全・四郎入道道儀らが多勢を率いて城郭を構え、岩松氏に打渡すのを拒否していたからである(「沙弥聖顕請文写」同文書)


蒲田郷
かまたごう

郷域は現佐賀市蓮池はすいけ町の蒲田津かまたつを中心とした一帯に比定される。郷名は「肥前風土記」に、

<資料は省略されています>

とみえ、景行天皇行幸の時、この地で食事をしたところ、蠅の音がひどくうるさいので天皇が「甚囂あなかまし」といったことに由来すると伝える。「和名抄」に「蒲田」とあり、刊本は「加万多」とよむ。

「蒲田」の名は中世以降にも残り、「田郷加納中嶋里」「田郷加納用作所」(深江家文書)、「田郷小倉里」(曾根崎元一氏所蔵文書)、「田郷鳥喰里」(武雄鍋島家文書)、「田郷内目結嶋五町」(深堀家文書)などとみえる。


蒲田郷
かまたごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本に「加万多」、東急本に「加万太」、名博本に「カマタ」と訓じる。武蔵国国分寺瓦に「田」とヘラ書されたものがある。この例から知られるごとく、蒲田を田と記すことがある。現大田区蒲田を遺称地とし、同地の辺りを郷域としていた。


蒲田郷
かまたごう

現佐賀市蓮池はすいけ町から神埼郡千代田町にわたる地域


蒲田郷
かまたごう

「和名抄」諸本のうち名博本は「蒲原」に作るが、いずれも訓を欠く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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