北野中村(読み)きたのなかむら

日本歴史地名大系 「北野中村」の解説

北野中村
きたのなかむら

[現在地名]赤穂市北野中

千種(ちくさ)川の中洲、後(うしろ)山の東にある。かつては南野中村と一村で(赤穂郡志)、慶長国絵図では野中村の北に野中と記される。元禄郷帳に村名がみえ高三五四石余。宝永三年(一七〇六)の指出帳では高四二四石余。家数五五・人数三四三、牛一八・馬一。井堰は根木(ねぎ)村にあり砂子(まなご)村・浜市(はまいち)村と当村の用水。樋一二、糞船七、道筋橋六。畑は日損場、田は水損場。男は両作の間に塩縄・俵つくり、日用、女は布木綿織、草取。浄土真宗真覚(しんかく)寺(現同宗本願寺派)・真言宗愛宕山地蔵院(のち慈光寺)・興福(こうふく)寺(現臨済宗妙心寺派、慶安三年盤珪開山)、春日社・天神社があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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