北金目村(読み)きたかなめむら

日本歴史地名大系 「北金目村」の解説

北金目村
きたかなめむら

[現在地名]平塚市北金目

東は片岡(かたおか)村、西は南矢名(みなみやな)村(現秦野市)、北は真田(さなだ)村、南は南金目村に接する。村内の西半分を占める北金目台地の東端を南から北へ大山道が通る。同台地上の畑の中には古墳が点在していたが、現在は灰(はい)塚・塚越(つかごし)古墳のみ残る。南金目村内を流れる金目川の堤防のうち長さ三一八間の大堤(おおづつみ)はとくに当村持ちとなっていた。

「和名抄」の余綾(よろき)郡金目郷に比定される。「吾妻鏡」建久三年(一一九二)八月九日条に「観音寺金目」とみえる。中世には南金目村とともに金目郷を形成。小田原衆所領役帳には遠山丹波守「五百六拾貫文 中郡金目郷」とある。

近世は初め幕府直轄領、寛永一五年(一六三八)旗本青山領、慶安元年(一六四八)青山氏の大名化により信州小諸藩(のち遠州浜松藩)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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