匝瑳北条庄(読み)そうさほうじようのしよう

日本歴史地名大系 「匝瑳北条庄」の解説

匝瑳北条庄
そうさほうじようのしよう

栗山くりやま川支流借当かりあて川以北の地、旧椿つばき海に面した台地周辺の谷地を中心として展開した匝瑳郡の庄園。史料上確認できる庄内村郷としては現八日市場市の大寺おおでら郷・内山うちやま(郷)飯高いいだか郷、現干潟ひかた町の鏑木かぶらき郷などがある。平安時代末期、「和名抄」に記載される匝瑳郡が分割・再編され、中世的所領として南条なんじよう・北条が成立するが、匝瑳北条は国衙領であったものと推定される。永暦二年(一一六一)正月日の源義宗譲状(櫟木文書)に「抑当厨(相馬御厨)相伝之理者(中略)譲国司藤原親通朝臣、彼朝臣二男親盛朝臣、而匝瑳北条之由緒、以当御厨公験、譲給義宗也」とあるが、相馬そうま御厨(現我孫子市など)相伝にかかわる「匝瑳北条之由緒」の具体的内容は不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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