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山内氏 やまのうちうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山内氏
やまのうちうじ

藤原姓。秀郷の子孫山内首藤の流という。相模国鎌倉郷山内に住し,山内氏を称したという。初め源氏に仕え,経俊のとき大庭氏に属し,のち頼朝に従った。戦国時代,盛豊のとき尾張に移って織田信安に仕え,その子一豊は信長に仕えた。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまうちうじ【山内氏】

一般に〈やまのうち〉とも読む。近世大名藤原秀郷(ひでさと)の後裔という。一豊の祖父久豊は累代の地丹波から尾張に移り,子盛豊は尾張の岩倉城主織田信安に仕え家老を務めた。その次子一豊は掛川の城主から1600年(慶長5)土佐20万2600石余の藩主となる。以下,忠義,忠豊,豊昌,豊房,豊隆,豊常,豊敷(とよのぶ),豊雍(とよちか),豊策(とよかず),豊興,豊資,豊熙,豊惇,豊信(とよしげ),豊範と16代272年にわたり廃藩置県まで土佐藩主を務めた。

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世界大百科事典内の山内氏の言及

【守護領】より

…そして1401年(応永8)に始まった守護山名氏の本格的な備後国支配においても継承され,守護領としてその代官には守護代や国人領主が任ぜられ,また残る一方領家職などについては守護(被官)請が行われている。備後山名氏の守護領については備北の雄族山内氏の請地になっているものに限ってその全容が知られるが,それらは山内氏の山名氏への軍忠に対する恩賞として預けられたものであり,なかには料所伊与地頭分や細川氏以来の石成荘下村(厩料所分)のように,15世紀後期に山内氏に乗馬供として給与されているものもある。したがって,このころになると守護領は,守護大名知行制の展開に伴って従来有していた守護の経済的・政治的基盤としての意味を実態的に失っていったと言える。…

【大名】より

… (1)国主大名とは1ヵ国以上の国を領有する大名,1国に近い土地を領有するか,もしくは領地高が多い大名をいい,家数は時代によって変遷するが,おおむね幕末では次のとおりである。前田氏(加賀・能登等102万石余を領し金沢に住する),島津氏(薩摩・大隅等77万石余,鹿児島),黒田氏(筑前52万石,福岡),浅野氏(安芸等42万石余,広島),毛利氏(周防・長門36万石余,萩,幕末に山口へ移る),池田氏(因幡・伯耆32万石,鳥取),池田氏(備前等31万石余,岡山),蜂須賀氏(阿波・淡路25万石余,徳島),山内氏(土佐24万石,高知),宗氏(対馬10万石格,府中)の10家が1国以上を領有する大名としてあげられる。宗氏は1万石余であるが対馬1国を領有するし,朝鮮との外交関係があったので10万石格の国主の扱いを受けた。…

【土佐国蠧簡集】より

…編者は土佐藩士奥宮正明(?‐1726)。1151年(仁平1)に始まり,長宗我部氏と山内氏の交替期の1600‐03年(慶長5‐8)をもって終わる。全9巻。…

【土佐藩】より

…高知藩ともいう。藩主は山内(やまうち)氏で藩祖山内一豊以下16代。一豊は関ヶ原の戦のあと,遠江国掛川6万石の城主より土佐24万石(朱印高は20万2626石)に栄進,この恩顧の念が明治維新に際しても藩主の行動を制約した。…

【山内氏】より

…一般に〈やまのうち〉とも読む。近世大名。藤原秀郷(ひでさと)の後裔という。一豊の祖父久豊は累代の地丹波から尾張に移り,子盛豊は尾張の岩倉城主織田信安に仕え家老を務めた。その次子一豊は掛川の城主から1600年(慶長5)土佐20万2600石余の藩主となる。以下,忠義,忠豊,豊昌,豊房,豊隆,豊常,豊敷(とよのぶ),豊雍(とよちか),豊策(とよかず),豊興,豊資,豊熙,豊惇,豊信(とよしげ),豊範と16代272年にわたり廃藩置県まで土佐藩主を務めた。…

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