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相馬御厨 そうまのみくりや

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百科事典マイペディアの解説

相馬御厨【そうまのみくりや】

下総(しもうさ)国相馬郡に設置された伊勢神宮領。同郡のほぼ全域が御厨であったとみられており,現茨城県取手(とりで)市・北相馬郡から千葉県我孫子(あびこ)市・柏市・野田市などにかけた広い地域にあたる。

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世界大百科事典 第2版の解説

そうまのみくりや【相馬御厨】

下総国相馬郡(現在の取手・我孫子・柏市の一帯)に設けられた伊勢神宮領。《神鳳鈔》によればその面積1000町歩に及ぶ。桓武平氏流れを汲む平良文が開発し,平安末期にはその子孫である千葉氏が伝領するところとなった。1130年(大治5)下総権介平常重(経繁)のときに下司職を留保して伊勢神宮に寄進し,その後豊受大神宮にも寄進しており,二宮領御厨として室町時代まで続いた。常重の寄進状によると伊勢神宮へ寄進するに際して荒木田延明を口入神主とし,供祭物として田畠地利上分と土産のサケを奉納し,加地子職ならびに下司職は子孫の相伝とする旨を記している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

相馬御厨
そうまのみくりや

下総(しもうさ)国相馬郡にあった伊勢(いせ)神宮の御厨。その領域は茨城県北相馬郡と取手(とりで)市および千葉県我孫子(あびこ)市と柏(かしわ)市をも含む地域に比定される。平良文(よしぶみ)が相馬の地を開発し、1130年(大治5)にその子孫の相馬郡司(ぐんじ)平常重(つねしげ)が下総国相馬郡布施(ふせ)郷を伊勢神宮に寄進し御厨が成立した。その後、常重の官物未進を口実に、1145年(久安1)源義朝(よしとも)が郡務に介入し、郡内の一部を伊勢神宮に寄進するが、翌年、常重の子息千葉介常胤(ちばのすけつねたね)が父の未進を支払い、相馬郡司職に任じられ、改めて郡内の地を神宮へ寄進し、下司職(げししき)を留保する。やがて常胤の二男師常(もろつね)が当御厨を分与され、その子孫は相馬氏を称し地頭職を相伝する。本宗は師常―義胤(よしたね)―胤綱(たねつな)―胤村(たねむら)―師胤(もろたね)―重胤(しげたね)と継承され、南北朝期の重胤のとき陸奥(むつ)国行方(なめかた)郡(福島県相馬郡)へ本拠を移し、奥州相馬氏を形成する。また鎌倉期には、岩松(いわまつ)氏、島津(しまづ)氏、足助(あすけ)氏、安達(あだち)氏、摂津(せっつ)氏らが御厨内の諸郷を領有するが、これは義胤、胤綱の女子の婚姻によるものである。鎌倉幕府の滅亡で、足助氏、安達氏、摂津氏に伝領した所領は足利(あしかが)氏へ移り、のち、寄進によって鎌倉別願寺(べつがんじ)・香取(かとり)神宮領となる。一方、神宮との関係では、外宮(げくう)の度会(わたらい)氏が口入神主職(くにゅうしんしゅしき)を相伝し、神税の代銭納が行われてきたが、室町期に入り、雑掌(ざっしょう)を現地に派遣し、支配の再編を図った。しかし未進されることが多く、十分な支配は困難となった。[平田満男]
『岡田清一著『中世相馬氏の基礎的研究』(1978・崙書房)』

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世界大百科事典内の相馬御厨の言及

【伊勢信仰】より

…伊勢神宮は元来〈国家至貴の神〉として皇室以外の奉幣を禁ずるなど,制度上重い地位にあったが,平安末期には王朝財政の衰えとともに支持が薄くなったため,神職団の一部はいわゆる御師(おし)としての活動を開始して,全国的に信徒(檀那)網を広げることに努めた。ことに東海・関東の地方には御師の勧誘により神領としての御厨(みくりや)・御薗(園)(みその)を寄進する豪族・武将が多かったが,なかで相馬御厨を寄進した源義宗の,〈これ大日本国は惣じて皇太神宮・豊受宮の御領たるの故なり〉という言葉は,よく信仰内容を物語っている。仏教との関係についても,もとは神宮が仏事関係を固く忌むとされたにもかかわらず,鎌倉時代には東大寺勧進職の重源,法相宗の貞慶,真言律宗の叡尊,時宗(じしゆう)の他阿など有力僧侶の参宮が相つぎ,真言宗の通海は,仏教への帰依が神宮崇敬と矛盾しないことを説き,禅密兼修の無住は《沙石集》において,〈外には仏法を憂き事にし,内には深く三宝を守り給ふ事にて御座(おわし)ます故に,我国の仏法偏(ひとえ)に太神宮の御守護によれり〉と述べている。…

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