香取社(読み)かとりしや

日本歴史地名大系 「香取社」の解説

香取社
かとりしや

[現在地名]千代川村鎌庭 東

鬼怒きぬ川旧河道に面して鎮座祭神経津主命。旧村社。天文二年(一五三三)下総一宮香取神宮を分祀し、のち下妻城主多賀谷政経が千本木せんぼんぎの戦いのあと祭典を行わせたと伝えられる(結城郡郷土大観)。神座の中に「貞享四年十月神祇管領卜部兼遠伝宣神階正一位」の書付が納められている。明治四二年(一九〇九)青竜権現せいりゆうごんげん社・愛宕あたご神社・琴平ことひら神社・水神すいじん社・月読つきよみ神社および木仙房きせんぼうにあった天照大神宮・山の神・東照宮を合祀

香取社
かとりしや

[現在地名]境町伏木 宮下

伏木ふせぎの中央に鎮座。祭神は経津主命・誉田別命で、八幡神社とも称する。旧村社。例祭一一月一五日。社伝によると後醍醐天皇の時代に下総一宮香取神宮の分霊を伏木の字大木おおき勧請し、永徳三年(一三八三)九月九日に字馬場ばばへ遷座。天正元年(一五七三)多賀谷氏による伏木の焼打ちを経て、寛文二年(一六六二)八月二二日再興。宝永四年(一七〇七)一二月五日に本殿拝殿の新築落成遷宮を現在地に行ったものと思われる。

香取社
かとりしや

[現在地名]総和町女沼 大道北

女沼おなぬま集落西部に鎮座。石鳥居の献額には「香取大神宮 八幡宮」とある。祭神経津主命。旧村社。「文永八己亥年六月上棟」、九月一九日に遷宮式を行ったと伝えられるが、文永八年(一二七一)は安永八年(一七七九)の誤りとみられる。神灯に「東関下総国葛飾郡女沼村 爾時文化五戊辰年九月吉日 惣氏子中」と刻む。

香取社
かとりしや

[現在地名]総和町上辺見 鹿養大道北

上辺見かみへみ集落北部に鎮座。鳥居献額には「香取大神宮 八幡大神宮」とあり、八幡神社を配祀。祭神経津主命、配祀誉田別命。旧村社。社伝によれば創建は正平二年(一三四七)鐙塚あぶつか(古墳)に祀り、天文二二年(一五五三)現在地に遷宮。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報