十三渡
じゆうそうのわたし
大坂から神崎(現兵庫県尼崎市)を経て西国街道に至る道の中津川の渡し。近世の成小路村の字十三と対岸堀村とを結んだ。「太平記」巻三六(秀詮兄弟討死事)に康安元年(一三六一)九月、渡辺橋(淀川の橋、現天満橋付近)を越えて北進する楠木・和田の南朝軍と、神崎橋(神崎川の橋、現神崎橋付近)から南下した佐々木秀詮の北朝軍が西成郡中島で合戦、佐々木方の白江源次六騎が「中津川ノ橋爪」で討死したことがみえるが、その地は当地付近とされ、当時ここに橋が架かっていたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 