十太夫新田(読み)じゆうだゆうしんでん

日本歴史地名大系 「十太夫新田」の解説

十太夫新田
じゆうだゆうしんでん

[現在地名]流山市東初石ひがしはついし二―五丁目・駒木台こまぎだい美田みた・十太夫

上野かみの牧内に近世前期に開発された新田村で、村域は東西三町・南北二三町ほど。初石新田の東に位置し、北は上野牧、東は駒木村と接していた。慶安二年(一六四九)伊奈半十郎(忠治)検地によって幕府領として高入れされたといわれる(年欠上野牧一件)。寛文六年(一六六六)の年貢割付状に村名がみえ高六五石。延宝七年(一六七九)には下田三町一反余・下畑一六町八反余・屋敷五反余で、名請百姓は五人(反歩寄帳)。貞享四年(一六八七)には高六八石余、元禄五年(一六九二)には高六九石余と高を増やし(年貢割付状)、寛保元年(一七四一)には反別三〇町一反余・高九〇石余の新畑が打出され、高一六〇石余となった(文化二年村明細帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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