十寸見河丈(読み)ますみ・かじょう

朝日日本歴史人物事典 「十寸見河丈」の解説

十寸見河丈(2代)

生年生没年不詳
江戸中期,河東節太夫寛保2(1742)年から宝暦4(1754)年ごろに活躍。初代河丈(のち2代目十寸見河東)の弟子で名は金次(治)。4代目河東のころに自らも河東を名乗った。俗に「山の手河東」という。『江戸節根元記』(1812)によると,3代目河東の没後,家元の座をめぐって3代目の甥伝之助と争ったという。内々の話し合いがつかず,双方とも河東を名乗ることになったが,実際には三味線の名手初代山彦源四郎ほか有力な連中が伝之助の方についたため,伝之助が4代目河東として認知されることとなった。

(吉野雪子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「十寸見河丈」の解説

十寸見河丈(2代) ますみ-かじょう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
河東(かとう)節。初代河丈(2代十寸見河東)の弟子。寛保(かんぽう)2年(1742)から宝暦4年(1754)ごろにかけて活躍。4代河東のときみずからも河東を名のり,山の手河東とよばれた。名は金次(治)。

十寸見河丈(3代) ますみ-かじょう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
河東(かとう)節。師の2代河丈の没後3代をつぐ。初名は金治。通称は新右衛門。

十寸見河丈(初代) ますみ-かじょう

十寸見河東(ますみ-かとう)(2代)

十寸見河丈(4代) ますみ-かじょう

?-? 江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
河東(かとう)節。江戸京橋滝山町の人。通称は桶屋善四郎。

十寸見河丈(5代) ますみ-かじょう

十寸見可慶(ますみ-かけい)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android