十禅師村(読み)じゆうぜんじむら

日本歴史地名大系 「十禅師村」の解説

十禅師村
じゆうぜんじむら

[現在地名]日野町十禅寺じゆうぜんじ

内池うちいけ村の南東にあり、南側を日野川が西流する。地名はかつて当地が坂本日吉社領であったことがあり、日吉上七社の一、十禅師宮が当地に勧請されたことに由来するとされる。十禅寺遺跡では古墳時代の竪穴住居跡、平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけての掘立柱建物跡などを検出、溝跡などから多数の須恵器土師器のほか緑釉土器も出土した。応永二九年(一四二二)一二月七日の寄進状(比都佐神社文書)に「合弐段者蒲生上郡必佐郷内十禅寺」とみえる。この二反の田は、三木正良が蒲生秀貞から購入した土地で、また「為父母孝養 十禅寺如法経道場限永代所奉寄進明白実正也」とあって、当地に如法経道場があったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む