日本歴史地名大系 「十里塚村」の解説 十里塚村じゆうりづかむら 山形県:飽海郡遊佐町十里塚村[現在地名]遊佐町菅里(すがさと)服部興屋(はつとりこうや)村の北にあり、庄内海岸の砂丘上に位置し、北東は菅野(すがの)村。浜(はま)街道は当村集落を通らず浜茶屋から吹浦(ふくら)川渡場へ向かった。正保庄内絵図(本間美術館蔵)には当村の南に一里塚が記されている。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録、寛永元年庄内高辻帳ともに村名なし。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳に十里塚村として、御役塩二俵余とある。延享三年(一七四六)の巡見使御用覚帳(杉山文書)では高四六石余、免三ツ一分、家数四三・人数二一三、海猟船八。役金は二両と銭八一一文で、そのうち鰯網一両三歩・手繰網役一両と銭五〇一文・刺網役三一〇文、ほかに塩釜一〇、塩年貢七石五斗余・谷地年貢米五斗余・笹札年貢米六斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by