日本歴史地名大系 「十里木村」の解説 十里木村じゆうりぎむら 静岡県:裾野市十里木村[現在地名]裾野市須山(すやま)須山村の枝郷で、十里木新田ともいう。本村から北西方に富士登山道を登り、大宮(おおみや)(現富士宮市)や吉原(よしわら)(現富士市)方面に向かった富士郡との境、標高約九〇〇メートルの地に集落が存在する。寛文年間(一六六一―七三)の富士郡村々と須山村との境相論の過程で、勝訴した須山村が郡境を守るために置いた集落ともいわれ、当初大野(おおの)原の春木(はるき)沢を開墾していた須山新田を移したものとも伝える(須山村郷土史)。江戸時代の領主の変遷は須山村に同じ。元禄郷帳では「深山村之枝郷十里木村」とあり、高一石二斗余。貞享三年(一六八六)の家数一一で、名主・組頭・総百姓代の村方三役は本村とは別に置いている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by