日本歴史地名大系 「千日墓所跡」の解説 千日墓所跡せんにちぼしよあと 大阪府:大阪市南区難波村千日墓所跡[現在地名]南区千日前二丁目難波(なんば)村にあった墓所で、大坂三郷最大の墓所。大坂七墓の一。正式には難波村領道頓堀(どうとんぼり)墓所という。成立は元和六年(一六二〇)で、三郷の拡張の時、市中にあった墓所が移転したと伝える。慶安四年(一六五一)墓所の広さは南北四一間・東西四〇間(「千日墓所一件」成舞家文書)。埋葬人は享保二〇年(一七三五)八千七二八(同文書)、文化九年(一八一二)七千六三九であった(「御用向留」大阪市史編纂所蔵)。「摂津名所図会大成」によると、荼毘所の傍らに元禄八年(一六九五)心中した大和五条の茜屋半七と長(なが)町四丁目の美濃屋三勝の墓があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by