デジタル大辞泉 「心中」の意味・読み・例文・類語
しん‐ちゅう【心中】
[類語]腹・胸・内・思い・想念・思念・
近世以降、特に遊里において③の意で用いられ、原義との区別を清濁で示すようになった。元祿(一六八八‐一七〇四)頃になると、男女の真情の極端な発現としての情死という④の意味に限定されるようになり、近松が世話物浄瑠璃で描いて評判になったこともあって、情死が流行するまでに至った。そのため、この語は使用を禁じられたり、享保(一七一六‐三六)頃には「相対死(あいたいじに)」という別の言い回しの使用が命じられたりした〔北里見聞録‐七〕。
情死ともいう。相愛の男女が合意の上で一緒に死ぬことであるが,この言葉を他の複数自殺double suicideにも適用して親子心中,一家心中などともいう。この場合は貧困や不治の病を苦にして親が子を道連れにする自殺と殺人との複合と呼ぶべき〈無理心中〉であることが多い。日本では明治以後,第2次大戦前までは封建的な家族関係と社会保障制度の不備などにもとづく親子心中,とくに経済的に弱い立場におかれた母親が子どもと一緒に死ぬ例が多かった。戦後もしばらくその傾向が続いたが,家族制度の崩壊と高度経済成長の進展とともに,心中における死者の男女比は接近し,1983年では男374人,女381人となっている(警察庁〈自殺白書〉による)。このことは,病気や借金・事業不振を苦にして父親が家族を道連れにする例が目だつなど,心中のあり方が戦前と大きく変わっていることを示すものである。
執筆者:黒田 満
心中は今日ではおもに情死を意味するが,もとは相愛の情を示す具体的方法のことであった。江戸時代の遊里においては,互いの愛情が真実であることを示すためにいろいろの手段を講じ,それによって〈心中させる〉とか〈心中立(だて)する〉とかいった。その方法として《色道大鏡》(1678)には,放爪(つめをはがすこと),誓紙,断髪,黥(いれずみ),切指(指をつめること),貫肉(腕や股の肉を傷つけること)などをあげている。しかしこれらが形式化し,営利的方便として乱用され,誓紙,つめ,髪,指を入れる心中箱が作られるようになると,これらの価値はしだいに低下するとともに,無二最高の方法として互いの生命をかけるにいたった。すなわち心中死である。男女の心中死は慶安期(1648-52)以前にも起こっているが,元禄期(1688-1704)になって増加しはじめ,1703年近松の《曾根崎心中》が大あたりをとったことにも関係して,関西を中心として心中情死事件が流行した。このため,幕府は1722年(享保7)心中死の取扱細規を発令すると同時に心中を扱った作品の出版・脚色を禁止した。以後江戸時代には心中死を〈相対死(あいたいじに)〉と公称し,死体は取捨てとし,また未遂・生存者は非人(ひにん)手下に組み入れられた。しかしその後も心中死は後を絶たず,心中は心中死,情死のみを意味するようになり,さらに複数自殺の意味にまで発展して今日に及んでいる。心中死が心中の極致として特異な手段であることはいうまでもないが,彼らを死におもむかせた原因としては,恋愛感情,家族制度,義理,経済的窮迫,名誉心などがあげられる。また心中はその形式を男色の衆道における風習からとり入れており,その意味では心中死を一種の殉死とみることもできる。さらに心中死を詩的に美化した浄瑠璃,歌舞伎の心中物(およびそれから派生した道行(みちゆき)物)が,いっそうその流行を助長した。心中死が瞬時的感情に支配されたことは,近松と同時代の西鶴の批判をみても明らかである。江戸時代における心中死が遊里という特殊社会に多く起こったことに注意すべきである。
執筆者:原島 陽一
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初めは情死をいい、これを他の複数自殺にも適用して親子心中、一家心中などという。もともと心中とは心の誠ということで、「心中立て」はこの意味の語である。それが、男色者や遊里の間で、心の中の誠を具体的に表現する必要から、放爪(ほうそう)、断髪、切指(指を切り落とすこと)、貫肉(股(もも)などを刃物で突くこと)など身体の一部を傷つけたり、切り取って相手に渡したり、または互いの名をいれずみしたりする風習がおこり、これらの手段を心中というようになった。このなかで互いの生命を賭(か)ける心中死は、心中の極致と考えられ、やがて心中は心中死(情死)を意味するに至った。この変化は、およそ元禄(げんろく)(1688~1704)前後のことと考えられるが、ちょうどそのころ京坂を中心に情死が多発している。情死事件が起こるとすぐに読売り祭文や近松の浄瑠璃(じょうるり)につくられ、それがまた次の情死の誘因ともなった。情死者が斬新(ざんしん)な死の手段を考えたことは、明らかに自分たちの死の効果を予想したものであった。
この風潮に対して、江戸幕府は1722年(享保7)に心中死の取締り規則を定め、公式には相対死(あいたいじに)と称するようにした。その罰則は、情死者の死骸(しがい)取捨て、未遂者の非人扱い、また1人が死亡のときは相手は死刑、さらに、主従関係(主人側は軽い)や男女(女は軽罪)の差異が認められた。
しかし、その後も心中は絶えず、語の概念も拡大して、同性心中から一家心中までが含まれるようになった。このため、日本は欧米に比して情死の多発国という誤解を生じた。それには、封建的家族制度や儒教的道徳観や殉死思想など情死の原因と考えられるものが、日本特有のものとみなされたからであった。しかし、情死は古くから世界中にその類例があり、けっして日本特有の現象ではない。元禄以後の情死事件の多くが、遊里という特殊社会を背景としていることなども注意せねばならない。ただ、日本の情死には無理心中が多いことと、親子心中にもその傾向が強いことは見逃せない。無理心中は殺人と自殺との複合だからである。親子心中は外国にも存在するし、強い家族制度と弱い社会保障制度の日本では、子を道連れにする親の心情に同情すべき点もあるが、親の殺人行為に対する社会的批判が強くなっている。しかし、遺児への保障や親への救済など各種の対策を伴わなければ、根本的解決は望めないであろう。
[原島陽一]
刑法第199条の殺人罪は被害者の意思に反して他人を殺害することを要するから、心中、すなわち共同自殺は本罪ではなく、刑法第202条の自殺関与及び同意殺人罪に該当しうるにすぎない。いわゆる無理心中は殺人罪にあたる。たとえば心中の意思がないのにこれを偽り相手に心中をもちかけ自殺させる場合については、法律上有効な意思がないとして殺人罪にあたると解する見解が支配的であるが、自殺関与及び同意殺人罪にすぎないとする見解も有力である。
[名和鐵郎]
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字通「心」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…嘱託・承諾は,任意かつ真意のものであることを要し,一時的な激情に駆られてのものなどでは足りない。合意に基づく同死(心中)ないし共同自殺を企てた者の一方が生き残った場合,自殺関与罪または嘱託・承諾殺人罪が成立するとするのが判例・通説である。無理心中,偽装心中,親子心中等による場合は,もちろん通常の殺人罪である。…
…幕府の法では柱に縛してむしろに座せしめる通常の晒と,土中に埋めた箱に着座させ首だけを地上に出す穴晒(あなさらし)とがあった。前者は穴晒に対して陸晒(おかさらし)と呼び,女犯(によぼん)の所化(しよけ)僧,心中(相対死(あいたいじに))未遂の男女両人に科したことでよく知られる。女犯の僧は寺法による処分に,心中の男女は非人手下(てか)の刑に先だって晒されるのであるが,他の罪種にも磔(はりつけ)などの刑に付加して用いられた。…
…この男色志向を反映して,独特の衆道文学とも呼ぶべき男色物の仮名草子や浮世草子が多数つくられている。一方,男色関係にからむ殉死(心中),刃傷(にんじよう)事件などが頻発したため,幕府は衆道,若衆風俗を禁止して抑制をはかったが効果は十分でなかった。江戸時代末には前期ほどの流行はみられなかったが,明治以後も学生,軍隊などを中心に男色者があった。…
…姉,妹,伯母,姪との密通は,男女ともに遠国非人手下。不義の男女が相対死(あいたいじに)(心中)を図り,双方死にそこなったときは,両人ともに三日晒(さらし)のうえ非人手下。主人と下女とが相対死をして,主人のみ生き残ったときは,その主人は非人手下。…
※「心中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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