国指定史跡ガイド 「千歳車塚古墳」の解説
ちとせくるまづかこふん【千歳車塚古墳】
京都府亀岡市千歳町千歳車塚にある古墳。大堰(おおい)川左岸、口丹波(現在の亀岡市、南丹市、京丹波町付近)に広がる田園の小高い丘に位置する前方後円墳。6世紀前半に造営されたといわれ、全長約82m、後円部径は約46mで高さ約7.5m、前方部幅は約49mで高さ約6.8m、3段築成になっていて葺石(ふきいし)や埴輪(はにわ)があり、墳丘の周りには盾形(たてがた)周濠の跡があった。同時期に造られた丹波の古墳のなかでは最大であり、丹波一帯を支配した大首長の墓と考えられている。古墳の形は伝統的な前方後円墳の特徴を受け継いでいるが、当時、大和政権を治めていた継体(けいたい)天皇や継体天皇に従った地方首長の古墳と形が違うことから、新勢力によって新しい古墳の形式が造られたとされる。大和政権の大王(おおきみ)や大王が派遣した地方首長の墓といわれる前方後円墳は、3世紀ごろから畿内(きない)を中心に造られ始め、大和政権の支配が進むにつれて全国各地に広がった。1982年(昭和57)に国の史跡に指定された。JR山陰本線亀岡駅から亀岡市ふるさとバス「毘沙門(びしゃもん)」下車、徒歩約5分。