朝鮮、李朝(李氏朝鮮王朝)の創始者(在位1392~1398)。廟号(びょうごう)は太祖。先祖は代々全羅道全州に居住していたが、高麗(こうらい)末期に地方官との不和から全州を追われ、一族は咸鏡(かんきょう)道に移住し、その地方の豪族となっていた。李成桂は武勇に優れ、1363年、高麗の首都開京(開城)を占領していた中国の紅巾(こうきん)軍を破り、東北面(咸鏡道)兵馬使(軍事長官)となった。ついで高麗国王恭愍(きょうびん)王の反元親明(はんげんしんみん)政策に協力して、元の勢力を朝鮮半島から追い出し、また倭寇(わこう)の討伐にも功績をあげ、武名をとどろかせた。恭愍王の死後、高麗はふたたび親元政策に傾き、遼東(りょうとう)の明軍と戦うため遠征軍を派遣したが、これに加わっていた李成桂は、1388年、鴨緑江(おうりょくこう)下流の威化島で軍を引き返し(威化島回軍)、国王昌王(1380―1389)を追放して新しく国王恭譲(きょうじょう)王をたて、政治・軍事の実権を握った。同時に改革派両班(ヤンバン)の支持のもとに、全国の土地を測量し直し、従来の土地台帳をすべて焼却し、1391年、土地改革を断行、新しい土地制度(科田法)を施行した。そのなかで李成桂は、彼に反対する高麗貴族の広大な土地を国家に没収し、彼らが所有していた奴婢(ぬひ)を解放した。また、地主の土地所有を認めるかわりに、彼らの土地にも課税し、国家の財政的基礎を確立した。1392年、李成桂はついに自ら国王となったが、初めは国号も従来どおり高麗を称し、明との関係の改善に努め、1393年から朝鮮という国号を用いた。翌年、首都を漢陽(後の漢城、現ソウル)に定めて遷都した。また抑仏崇儒政策を推進して仏教(寺院)勢力を押さえ、朱子学(儒教)を国教とした。1398年、李成桂は、重臣を巻き込んだ王子たちの王位継承の争いのなかで退位したが、その後も王位継承をめぐる王子たちの争いは絶えず、退位した晩年は、肉身の争いに苦悩し、仏門に帰依(きえ)した。
[矢澤康祐]
朝鮮,李朝初代の国王,太祖。在位1392-98年。全州の人。彼の一族は高麗時代から咸鏡道で活躍し,父李子春は元帝国の双城摠管府に仕えた。李成桂は軍事能力にすぐれ,紅巾の乱,女真人,モンゴル残存勢力,倭寇(わこう)などの討伐に大きな功績をあげ,1370年に知門下府事となって高麗政府の中枢に入った。88年,満州を占領した明軍を攻撃する指揮官となった彼は,遼陽遠征の途上,鴨緑江下流の威化島から全軍を引き返し(威化島回軍),首都開城に入城して辛禑(しんう)王と崔瑩(さいえい)を追放し,辛昌王を擁立した。さらに翌年,恭譲王を擁立した彼は政治・軍事の最高権力を掌握した。同時に土地制度改革に着手し,91年に科田法を公布して旧家世族の私田を没収した。こうして92年,李成桂は趙浚(ちようしゆん)や鄭道伝らに推戴されて新王朝を開き,翌年,国号を朝鮮と定め,親明政策を外交方針とした。94年,首都を高麗王朝の本拠地開城から漢陽(漢城,現在のソウル)に移した。また儒教を国教に定め,成均館をはじめとする学校を各地に設置した。98年に王位継承権をめぐる異母兄弟間の争いが起こり,第5子の李芳遠(後の太宗)が幼弟2人と鄭道伝を殺して定宗を擁立した。李成桂は退位して上王となったが,2年後,定宗も廃されて太宗政権が成立した。この骨肉の争いに苦悩した李成桂は仏門に帰依し,殺された2子の冥福を祈った。
執筆者:吉田 光男
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1335~1408(在位1392~98)
朝鮮王朝の建国者。太祖。咸鏡南道永興の武人,豪族の家に生まれる。咸鏡方面の女真(じょしん),モンゴル諸勢力を平定し,倭寇(わこう)討伐に功を立て,しだいに信望を得た。1388年明に反抗した高麗(こうらい)政府の遼東進攻軍が鴨緑江の威化(いか)島に至ったとき,軍を回して親元派を除き,王を廃立した。89年親明派政府を樹立,91年土地改革を行い,翌年推されて帝位についた。
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1335~1408.5.24
太祖とも。李氏朝鮮初代国王(在位1392~98)。諱は成桂。字は仲潔。号は松軒。咸鏡南道永興に生まれ,武将として高麗に仕えて北方では女真(じょしん)勢力を平定,紅巾軍の侵入を防ぎ,南方では倭寇の平定に力を尽くした。1388年高麗政府の中心人物崔瑩(さいえい)を退け,辛禑(しんう)王を廃して辛昌王をたてた。ついでこれをも廃して恭譲王をたてたのち,92年王位につき,国号を朝鮮と改めた。98年鄭道伝(ていどうでん)らの反対により退位。
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