明徳(読み)メイトク

  • 年号

日本の元号がわかる事典の解説

日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1390年から1394年まで、後小松(ごこまつ)天皇の代の北朝が使用し、1392年(元中9/明徳3)の南北朝の合一後は唯一の元号となった。前元号は康応(こうおう)。次元号は応永(おうえい)。1390年(康応2)3月26日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『礼記(らいき)』を出典とする命名。明徳年間の南朝の天皇は後亀山(ごかめやま)天皇。南朝では、「元中(げんちゅう)」(1384~1392年)の元号を用いていた。しかし、1392年(元中9/明徳3)閏10月5日、吉野から京都に帰還した後亀山天皇が退位し、三種の神器が後小松天皇に渡されたことにより、半世紀におよぶ南北朝対立が終わった。「元中」の元号も廃され、「明徳」を使用することになった。同年間の室町幕府の将軍は足利義満(よしみつ)(3代)。明徳年間は、将軍義満がその権力基盤を着々と固めつつあった。1390年(元中7/明徳1)には、美濃国守護の土岐康行(ときやすゆき)が幕府に討伐された。さらに、翌1391年(元中8/明徳2)には明徳の乱が起こった。義満の挑発に乗った有力守護の山名氏清(うじきよ)、山名満幸(みつゆき)らが挙兵した事件で、幕府軍に敗退後、山名氏の領地・権力は大きく削がれることになった。

出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

[1] 聰明な徳。正しく公明な徳。また、「大学集注」の「明徳者、人之所乎天、而虚霊不昧、以具衆理而応万事者也」から、天から受けたすぐれた徳性。
※菅家文草(900頃)五・重陽侍宴、同賦秋日懸清光「微臣俯仰依明徳、心比秋葵旦暮傾」
※古今著聞集(1254)一「その明徳をあふがずといふことなし」 〔書経‐君陳〕
[2] 南北朝時代、北朝の後小松天皇の代の年号。康応二年(一三九〇)三月二六日に改元、明徳五年(一三九四)七月五日に次の応永となる。三年に南北朝合一がなされた。出典は「礼記‐大学」の「大学之道、在明徳、在民」。

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