日本歴史地名大系 「千見城跡」の解説
千見城跡
せんみじようあと
千見村本村の北に接して標高八三一メートルの千見城跡がある。
城跡は、本郭東西二三間、南北五六間をはじめとして二の郭・三の郭・
千見城の初見は、武田晴信が地侍大日方主税助に千見城を攻略させ、その功を賞した弘治元年(一五五五)の感状(大日方文書)である。
下って武田氏の滅亡後、千見城は上杉景勝の領有となり天正一一年(一五八三)四月二四日、景勝の将となっていた大日方佐渡守に命じて千見城の武備を固めさせた(「直江兼続書状案」歴代古案)が、翌一二年松本平を掌中にした小笠原貞慶は同年二月二九日安曇郡の仁科衆に命じて景勝の千見城を攻略(「小笠原貞慶書状案」御書集)、貞慶の将沢渡盛忠・渋田見源助らに千見城番を命じている(「千見城番衆」岩岡家記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報