普請奉行(読み)フシンブギョウ

デジタル大辞泉 「普請奉行」の意味・読み・例文・類語

ふしん‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【普請奉行】

武家職名室町幕府では御所城壁堤防など、江戸幕府では、老中の下で土木工事武家屋敷管理などにあたった。

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精選版 日本国語大辞典 「普請奉行」の意味・読み・例文・類語

ふしん‐ぶぎょう‥ブギャウ【普請奉行】

  1. 〘 名詞 〙 室町・江戸幕府の職名の一つ。御所、城壁・堤防などの修理造築などをつかさどる。承応元年(一六五二定職となり、作事奉行・小普請奉行とともに下三奉行と呼ばれ、老中の支配を受けて、上下水道等の土木工事のほか、武家屋敷請取りなどの事もつかさどった。役高二千石、芙蓉の間詰で、また、配下に普請下奉行、普請方などがいた。文久二年(一八六二廃止され、作事奉行に移管された。
    1. [初出の実例]「秋庭仙洞為御普請奉行罷出、仍河井に申置云」(出典親元日記‐寛正六年(1465)五月二日)

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改訂新版 世界大百科事典 「普請奉行」の意味・わかりやすい解説

普請奉行 (ふしんぶぎょう)

武家の職名。土木・建築工事において基礎工事を管掌し,建物の築造作事奉行の担当である。元来臨時の役であったが,江戸幕府では1652年(承応1)以来2人ずつ常置。江戸城の石垣・堀普請や江戸中の明屋敷(あきやしき)・拝領屋敷の請取り・請渡しをつかさどり,1768年(明和5)以降上水方(じようすいかた)・道方御用も勤めた。1862年(文久2)廃止。老中支配。1723年(享保8)制定の役高は2000石高,従五位下に叙せられた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「普請奉行」の意味・わかりやすい解説

普請奉行
ふしんぶぎょう

室町幕府など古くから武家方にみえる職名。江戸幕府では作事(さくじ)、小普請(こぶしん)両奉行とあわせて下(した)三奉行という。当初は臨時役であったが、1652年(承応1)から定役となる。定数2人(老中支配、芙蓉間(ふようのま)、諸大夫(しょだいふ)、2000石高)、属僚に普請方下奉行、普請方改役(あらためやく)、普請方、普請方同心、普請方定小屋門番人があり、城の石垣、堀普請、地形(じぎょう)、縄張(なわばり)、屋敷割などに加え、1768年(明和5)以降は上水(じょうすい)方、道(みち)方を職掌とした。1862年(文久2)廃止され、奉行は勤仕並(きんじなみ)となった。

[北原章男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「普請奉行」の意味・わかりやすい解説

普請奉行
ふしんぶぎょう

室町,江戸幕府の職名。室町幕府では御所,城壁,堤防などの修築と庭中掃除の役を兼ねていたので,庭奉行ともいわれた。江戸時代になると,石垣,堀などの普請,地形縄取などの土木建築の基礎工事,上水管理などを管掌するようになり,寛永9 (1632) 年に創設され,承応2 (53) 年から定職となり,老中の支配下にあった。文久2 (1862) 年廃止され,作事奉行によって代行された。 (→道奉行 )

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世界大百科事典(旧版)内の普請奉行の言及

【普請】より

…曝書,除煤,摘茶,掃除や堂塔の造営など幅広い労役に用いられたが,そこから転じて,室町時代には一般に土木工事のことをいうようになる。 鎌倉幕府の職名には作事奉行の名が見えるのみで,これが建築,土木の両工事を管掌したとみられるが,室町幕府では,建築工事は作事奉行が,土木工事は普請奉行が管掌するように分化している。室町幕府の普請奉行は,とくに将軍,天皇の御所の造営,築地,庭の修築工事や庭中掃除を重要な仕事としたが,戦国大名の下では領民に普請役を課して,堤防,せき,用水路,橋,道路の修築を大規模に行うようになる。…

※「普請奉行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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