日本歴史地名大系 「千駄堀村」の解説 千駄堀村せんだぼりむら 千葉県:松戸市千駄堀村[現在地名]松戸市千駄堀八(はち)ヶ崎(さき)村の南、標高三〇メートル前後の台地上に位置する。江戸川の沖積低地が北西方の馬橋(まばし)村方面から台地を囲むように左右に深く湾入、谷奥には豊富な湧水があり、坂(さか)川支流長津(ながつ)川の最上流をなしている。中世には風早(かざはや)庄のうち。「本土寺過去帳」二二日の応永三年(一三九六)一一月の年紀がある法善には「センタホリ」、また一五日の応仁二年(一四六八)四月の年紀がある勝円坊には「千駄堀」との注記がある。なお現滋賀県大津市西教(さいきよう)寺所蔵の「悉曇字記聞書」巻六に記された天文五年(一五三六)の奥書に「下総風早庄千駄城(堀)於泉福寺書之」とある。年未詳の口達之覚(大熊家文書)によれば、慶長六年(一六〇一)から元禄一一年(一六九八)まで当村のうち高二〇〇石は旗本土屋領であったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by