卓屋町
しよくやちよう
下京区不明門通下珠数屋町上ル
南北に通る不明門通を挟む両側町であったが、現在では人家は東側のみで、西側は明治四五年(一九一二)烏丸通の拡張により道路上となった。
平安京の条坊では、左京七条三坊四保一四町南側の地。
町の形成は、東本願寺の寺地拝領による慶長七年以降の市街地化による。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「(因幡堂)四丁目」と記され、寛文一二年(一六七二)洛中洛外大図も同様であるが、宝永二年(一七〇五)及び天明六年(一七八六)の洛中洛外絵図では、現町名と同じ「卓屋丁」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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