南兼康町(読み)みなみかねやすちよう

日本歴史地名大系 「南兼康町」の解説

南兼康町
みなみかねやすちよう

上京区今出川通小川東入

町の北寄りを東西今出川いまでがわ通が通る。

中古京師内外地図中昔京師地図には管領細川政元の養子で、同じく養子の細川澄之のあと家督を継いだ細川澄元の館がこの辺りに描かれる。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「かねやすすし」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「南兼康町 一名水引屋町」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 がわ 負担

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む