南兼康町(読み)みなみかねやすちよう

日本歴史地名大系 「南兼康町」の解説

南兼康町
みなみかねやすちよう

上京区今出川通小川東入

町の北寄りを東西今出川いまでがわ通が通る。

中古京師内外地図中昔京師地図には管領細川政元の養子で、同じく養子の細川澄之のあと家督を継いだ細川澄元の館がこの辺りに描かれる。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「かねやすすし」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「南兼康町 一名水引屋町」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 がわ 負担

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む