細川澄元(読み)ほそかわすみもと

精選版 日本国語大辞典 「細川澄元」の意味・読み・例文・類語

ほそかわ‐すみもと【細川澄元】

室町後期の武将。政元の養子家督相続をめぐり前将軍足利義稙(よしたね)を奉じる高国(同じく政元の養子)と争ったが敗れ、近江阿波へ逃れ、病死した。延徳元~永正一七年(一四八九‐一五二〇

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デジタル大辞泉 「細川澄元」の意味・読み・例文・類語

ほそかわ‐すみもと〔ほそかは‐〕【細川澄元】

[1489~1520]室町後期の武将。政元の養子。家督相続をめぐり前将軍足利義稙よしたねを奉じる高国と争って近江おうみ・阿波へ逃れ、病没

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朝日日本歴史人物事典 「細川澄元」の解説

細川澄元

没年:永正17.6.10(1520.6.24)
生年:延徳1(1489)
室町時代の武将。通称六郎。阿波守護細川成之の孫。義春の子。文亀3(1503)年,細川家当主政元の養子となる。永正4(1507)年6月,澄元に先立ち養子となっていた澄之を擁して薬師寺長忠,香西元長らが政元を暗殺。澄元は家宰の三好之長と共に近江に逃れる。同年8月,一族の細川高国らが澄之を滅ぼすと,将軍足利義澄のもとに実権を握り,丹波・讃岐・土佐守護をも兼ねた。しかし同5年4月,高国が大内義興と共に前将軍足利義尹(義稙)を擁して幕政を握ると権力の座を追われる。その後の再挙は失敗に終わり,阿波で病没。将軍家と細川家の,複雑に絡み合った権力争い渦中を生きた生涯であった。

(森田恭二)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「細川澄元」の意味・わかりやすい解説

細川澄元
ほそかわすみもと
(1489―1520)

戦国期の武将。京兆家(けいちょう)け(管領(かんれい)家)家督。幼名聡明丸(そうめいまる)。通称六郎。阿波守護細川義春(よしはる)の子で、1503年(文亀3)細川政元(まさもと)の養子となる。1507年(永正4)細川澄之(すみゆき)らが政元を暗殺した際に近江(おうみ)へ逃亡。澄之没後に入京し、京兆家家督を相続した。1508年、細川高国(たかくに)によって京都を追われてからは三好之長(みよしゆきなが)の支援で上洛を目指すが、家督再相続はならず、阿波で病没。

仁木 宏]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川澄元」の解説

細川澄元 ほそかわ-すみもと

1489-1520 戦国時代の武将。
延徳元年生まれ。細川義春の子。細川政元の養子。永正(えいしょう)3年摂津守護となる。翌年養父政元を暗殺して家督をついだ細川澄之を,おなじ養子の細川高国らとともにほろぼし,将軍足利義澄のもとで実権をにぎる。のち前将軍足利義稙(よしたね)を擁する高国と不和になり,たたかったが敗れ,永正17年6月10日阿波(あわ)(徳島県)で病没した。32歳。通称は六郎。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「細川澄元」の意味・わかりやすい解説

細川澄元
ほそかわすみもと

[生]延徳1(1489)
[没]永正17(1520).6.10. 阿波
室町時代後期の武将。義春の子。管領政元の養子。法名,宗泰。家督争いが将軍家内部の争いとからんで大乱に発展。澄元は将軍足利義澄と結託したが,前将軍足利義稙 (よしたね) ,細川高国派に敗れて四国阿波に渡り,失意のうちに病死した。

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