細川澄元(読み)ホソカワスミモト

精選版 日本国語大辞典 「細川澄元」の意味・読み・例文・類語

ほそかわ‐すみもと【細川澄元】

  1. 室町後期の武将。政元の養子。家督相続をめぐり前将軍足利義稙(よしたね)を奉じる高国(同じく政元の養子)と争ったが敗れ、近江・阿波へ逃れ、病死した。延徳元~永正一七年(一四八九‐一五二〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「細川澄元」の意味・わかりやすい解説

細川澄元
ほそかわすみもと
(1489―1520)

戦国期の武将。京兆家(けいちょう)け(管領(かんれい)家)家督。幼名聡明丸(そうめいまる)。通称六郎。阿波守護細川義春(よしはる)の子で、1503年(文亀3)細川政元(まさもと)の養子となる。1507年(永正4)細川澄之(すみゆき)らが政元を暗殺した際に近江(おうみ)へ逃亡。澄之没後に入京し、京兆家家督を相続した。1508年、細川高国(たかくに)によって京都を追われてからは三好之長(みよしゆきなが)の支援で上洛を目指すが、家督再相続はならず、阿波で病没。

仁木 宏]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川澄元」の解説

細川澄元 ほそかわ-すみもと

1489-1520 戦国時代の武将。
延徳元年生まれ。細川義春の子。細川政元の養子。永正(えいしょう)3年摂津守護となる。翌年養父政元を暗殺して家督をついだ細川澄之を,おなじ養子の細川高国らとともにほろぼし,将軍足利義澄のもとで実権をにぎる。のち前将軍足利義稙(よしたね)を擁する高国と不和になり,たたかったが敗れ,永正17年6月10日阿波(あわ)(徳島県)で病没した。32歳。通称は六郎。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「細川澄元」の意味・わかりやすい解説

細川澄元
ほそかわすみもと

[生]延徳1(1489)
[没]永正17(1520).6.10. 阿波
室町時代後期の武将。義春の子。管領政元の養子。法名,宗泰。家督争いが将軍家内部の争いとからんで大乱に発展。澄元は将軍足利義澄と結託したが,前将軍足利義稙 (よしたね) ,細川高国派に敗れて四国阿波に渡り,失意のうちに病死した。

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