南内牧(読み)みなみうちのまき

日本歴史地名大系 「南内牧」の解説

南内牧
みなみうちのまき

平安時代から鎌倉時代初期にかけて北内牧(松本市の→北内牧とともに左馬寮所属の御牧であったと推定される。場所は今の南内田地籍と思われる。

吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月条の乃貢未済庄々注文に「左馬寮領 南内 北内」とあるのが文献上の初出である。「延喜式」にみえる信濃一六牧の中に、隣接埴原はいばら牧があって南内・北内はないが、同年にはこれに反していることは、埴原が既に退転して、南内・北内の両牧に分化したことを示すもので、北内田に「牧の内」の地名があり、南内田にバンケ原(馬飼原)、ベント原(別当原)などそれらしき地名や地形のあることは、それを語っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む