日本歴史地名大系 「南内田村」の解説 南内田村みなみうちだむら 長野県:塩尻市片丘地区南内田村[現在地名]塩尻市大字片丘 南内田筑摩(ちくま)山地の鉢伏(はちぶせ)山から高(たか)ボッチ高原に続く稜線の西側山麓に立地。南は北熊井(きたくまい)、西は赤木(あかぎ)山を隔てて現松本市赤木、北は現松本市内田(うちだ)に隣接する。縄文中期の遺跡が多く、特に小丸山(こまるやま)遺跡が知られている。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月条の乃貢未済庄々注文に「左馬寮領 南内 北内」とあるのが初出である。寛正三年(一四六二)の諏訪御符礼之古書には波多判官太夫跡として「南内田苻(府)中和田筑前守雅基副状礼一貫三百文被出候」とあり、和田雅基が南内田の地頭職を与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by