日本歴史地名大系 「南小栗栖村」の解説 南小栗栖村みなみおぐるすむら 京都市:伏見区南小栗栖村[現在地名]伏見区小栗栖(おぐりす)〈石川(いしかわ)町・小坂(こさか)町・中山田(なかやまだ)町・南後藤(みなみごとう)町・森本(もりもと)町・山口(やまぐち)町〉北は北小栗栖村、東は醍醐(だいご)村、南は石田(いしだ)村・堀内(ほりうち)村、西は大亀谷(おおかめだに)村に接する。古代小栗(おぐるす)郷(和名抄)に属す。大永三年(一五二三)二月、南小栗栖の住人が、新たに柴市を立てようとして、醍醐寺側と相論を起こしている。これについて醍醐寺文書に、<資料は省略されています>とあり、相論の結果、柴市を封ぜられた由を記す。江戸時代、享保一四年(一七二九)山城国高八郡村名帳によれば、村高四三〇・六一一石、知行の内訳は毘沙門堂門跡領一九五・四石余、禁裏御料二三五・一石余となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by