山城国高八郡村名帳(読み)やましろのくにたかはちぐんそんめいちよう

日本歴史地名大系 「山城国高八郡村名帳」の解説

山城国高八郡村名帳
やましろのくにたかはちぐんそんめいちよう

一冊

成立 享保一四年

原本 山口泰弘氏

解説 江戸時代の山城国内の村数を定めるのは大変難しい。山城国郷帳(元禄一三年、内閣文庫蔵)の四五九ヵ村が一応のめどとなるが、枝郷新田村本村に含み込む方法をとれば当然村数は減じ、享保一四年(一七二九)本書では四一九ヵ村となっている。村高合計は二一万九千八〇六石余である。各村ごとに領主別所領高を書きあげて、郡ごとに集計をしており、江戸中期の山城国内の所領実態が把握できる。「史料京都の歴史(3—政治・行政)(京都市、昭和五四年)付録に、本書を底本としながら、他史料によって全く新たに作成した山城国各村領主別石高表が掲載されている。

山城国高八郡村名帳
やましろのくにたかはちぐんそんめいちよう

一冊

成立 享保一四年

原本 山口泰弘氏

解説 江戸時代の山城国内四一九ヵ村の各村ごとに領主別所領高を書きあげ、郡ごとに集計。江戸中期の山城国内の所領実態が把握できる。

活字本 「史料京都の歴史」

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報