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南方特別留学生

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

南方特別留学生

1943年と44年の2回に分け、当時、日本政府が占領していた南方諸地域(フィリピン、タイ、ミャンマーマレーシアインドネシアブルネイの6カ国)から、招いた留学生。計200人余りが来日し、東京で日本語の研修を受けた後、地方の専門学校へ。徳島工業専門学校には5カ国18人が来た。

(2007-08-16 朝日新聞 朝刊 徳島全県 2地方)

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世界大百科事典 第2版の解説

なんぽうとくべつりゅうがくせい【南方特別留学生】

太平洋戦争のさなかの1943年2月,日本の軍部,大東亜省文部省間で協議された〈南方特別留学生育成事業〉という政令により制定された,東南アジア諸国から日本への留学生制度。その趣旨は南方諸地域より選抜された有為な青少年を〈我国ニ留学セシメ,(中略)我学芸及ビ実務ヲ習得セシムルト共ニ我国民性ノ真髄ニ触レシメ,以テ帰国後ハ原住民ヲ率ヒ,大東亜共栄圏建設ニ協力邁進スベキ人材ヲ育成スル〉ことであった。学費は1人月額100円であった。

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世界大百科事典内の南方特別留学生の言及

【留学】より

…そのため,留学生取締りや日本の侵略政策そのものに対して抗議するために帰国する者も増え,また1915年の二十一ヵ条要求に際しては,在日・帰国留学生がその先頭に立って,抗日運動を展開,ついに37年日中戦争の開始によりほとんどの留学生が帰国した。こうした政治的・文化侵略的な政策としての留学は,〈親日〉化を図るために,その後も朝鮮,台湾,〈満蒙〉等の植民地からの留学生の招致,南方特別留学生制度(1943‐44年,大東亜省によって,〈大東亜共栄圏〉の建設に向けて,南方各地の現地指導者を育成するためとして100人余が招かれた)などへとつづいた。 第2次大戦後,日本は国際社会への復帰により,国際親善と発展途上国への教育協力のために,1952年にインドネシア政府派遣の留学生を受け入れ,さらに54年から国費外国人留学制度を発足させた。…

※「南方特別留学生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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