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大東亜共栄圏 だいとうあきょうえいけん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

第2次世界大戦を背景に,1940年第2次近衛内閣以降 45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば,大東亜共栄圏建設の根本方針は,「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。

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デジタル大辞泉の解説

だいとうあ‐きょうえいけん【大東亜共栄圏】

太平洋戦争下、日本が唱えた標語。欧米の植民地支配にかわって日本を中心として東亜の諸民族による共存共栄を樹立することを掲げ、日本のアジア支配を正当化しようとしたもの。

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百科事典マイペディアの解説

大東亜共栄圏【だいとうあきょうえいけん】

太平洋戦争中に日本の中国,東南アジア侵略の合法化を目的とした指導理論。日本が指導者となって欧米勢力をアジアから排斥し,日本,中国,満州を中軸とし,フランス領インドシナ(仏印),タイ,マレーボルネオオランダ領東インド(蘭印),ビルマミャンマー),オーストラリアニュージーランドインドを含む広範な地域の政治的・経済的な共存共栄を図るという政策を掲げた。
→関連項目アジア大東亜省南進論八紘一宇

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世界大百科事典 第2版の解説

だいとうあきょうえいけん【大東亜共栄圏】

太平洋戦争期に唱えられた,日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域。第2次近衛文麿内閣の発足時の〈基本国策要綱〉(1940年7月26日)に〈大東亜新秩序〉の建設として掲げられ,国内の〈新体制〉確立とならぶ基本方針とされた。これはドイツの〈生存圏Lebensraum〉理論の影響を受けており,共栄圏の用語は外相松岡洋右の発言に基づく。すでに第1次近衛内閣は1938年11月,日中戦争の長期化をうけて〈東亜新秩序〉の建設を声明していたが,大東亜はそこでうたわれた〈日・満・支〉に,広く東南アジア,インド,オセアニアの一部までをも加えた範囲と考えられる。

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大辞林 第三版の解説

だいとうあきょうえいけん【大東亜共栄圏】

第二次大戦中の、特に1940年(昭和15)頃から日本が唱えたスローガン。欧米の植民地支配に代わって共存共栄の新秩序をアジア地域に樹立すると主張して、日本の侵略政策を正当化しようとしたもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義国の支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるという主張。太平洋戦争期に日本の対アジア侵略戦争を合理化するために唱えられたスローガンである。太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)直前の第二次近衛文麿(このえふみまろ)内閣時の外務大臣松岡洋右(ようすけ)が最初に使ったことばだといわれるが、日本を盟主に東アジアに共存共栄の広域経済圏をつくりあげるという発想は古くから主張されていた。満州事変期の「日満一体」は、日中戦争期には「東亜新秩序」とその名を変え、東南アジア諸国を侵略対象とする1940年代初頭には「大東亜共栄圏」が主張されるに至った。しかし、このスローガンも、太平洋戦争が日本の敗色濃厚になり、日本からの物資供給がとだえ、逆に諸国からの日本への物資収奪が強行されるなかで色あせ、「共栄圏」は「共貧圏」へとその姿を変えていったのである。[小林英夫]

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世界大百科事典内の大東亜共栄圏の言及

【太平洋戦争】より


[戦争目的と戦争の経過]
 1941年12月8日,日本は英領マレー半島コタ・バルへの奇襲敵前上陸とハワイ真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争へ突入し,戦争は文字どおりの世界大戦に発展した。宣戦の詔書や政府声明に示された日本の戦争目的は,〈自存自衛〉と〈大東亜共栄圏建設〉の二つであったが,アジアを白人帝国主義の支配から解放し,日本を盟主とする〈大東亜共栄圏〉を建設するというスローガンは,現実には日本が中国と東南アジアを侵略し勢力圏化するためのものとして機能することになり,10日東条内閣は今次の戦争を〈大東亜戦争〉と呼称することを決定した(声明は12日)。 戦争の経過を軍事史の観点から時期区分すると,大要次のとおりである。…

【ブロック経済】より

…経済ブロックには,イギリスを中心とするオタワ協定Ottawa Agreements(1932)に基づく特恵貿易地域,アメリカとラテン・アメリカを結ぶもの,ドイツと南東ヨーロッパ諸国による広域経済圏Grossraumwirtschaft,フランスを中心とする金本位制を維持した国々による金ブロックなどがある。日本の大東亜共栄圏構想(大東亜共栄圏)は,満州,台湾,朝鮮から成るミニ・ブロックを本格的なものに拡大しようとしたものである。日本のこの構想およびドイツの広域経済圏を拡大しようという動きと,イギリス,フランス,アメリカなどとの利害の対立が,第2次大戦の主要な原因となった。…

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