日本歴史地名大系 「南片岡村」の解説 南片岡村みなみかたおかむら 千葉県:館山市南片岡村[現在地名]館山市水岡(みずおか)北片岡村の南に位置し、小さな谷に展開する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高一六四石余(うち田一三七石余)、同一五年の里見家分限帳によると廿人衆の中村十郎右衛門の給知。正保郷帳では高一七〇石余(うち田一四三石余)で、北条藩領。享保一二年(一七二七)の安房国村々助郷請帳(岩崎家文書)では旗本三浦領。文化二年(一八〇五)には同津田領(高橋家文書)。天保一三年(一八四二)武蔵忍藩領となる(同一四年忍藩領郷村高帳)。房陽郡郷考でも同藩領で、家数一六。 南片岡村みなみかたおかむら 高知県:高岡郡越知町南片岡村[現在地名]越知町南片岡浅尾(あそお)村の東、仁淀(によど)川右岸にあり、対岸は吾川(あがわ)郡片岡村。中世は吾川郡片岡本村のうちで、天正一八年(一五九〇)の吾川郡片岡本村地検帳のうち梶木(かじき)村の小地名に「南片岡」がみえ、すべて西古味(にしこみ)名。梶木村は通称楮木(かじき)として残っている。江戸時代に高岡郡黒岩(くろいわ)村(現佐川町)の枝郷となり高岡郡に編入、名本一人が置かれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by