日本歴史地名大系 「南田代新田」の解説 南田代新田みなみたしろしんでん 茨城県:高萩市南田代新田[現在地名]高萩市中戸川(なかどがわ)花貫(はなぬき)川の支流多々良場(たたらば)川の上流に位置し、四方山である。北は鳥曾根(とりぞね)新田・中戸川新田。古くは田代谷(たしろやつ)とよばれたが、寛文四年(一六六四)の新田証文之事(大高家蔵)に「南田代新田」とみえる。寛永一三年(一六三六)の郡奉行野沢太郎左衛門の中戸川新田開拓者佐次衛門への通知(大高家蔵)に「上高倉村之十右衛門六右衛門中戸川之内田代谷を新田ニ望候間指遣候何方ニ而此者共望候所をひらかせ可申候」とある。「松岡地理志」によると翌一四年野沢奉行より新田開発証文が渡され、入植者十右衛門と六右衛門は永代居住が認められた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by